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「凡人のための地域再生入門」

久しぶりに、この手の本を読んだ。

地域再生事業家、木下斉さん。FacebookやTwitterでも日本の地域再生についての情報発信を続けている、実業家の方だ。

日本各地でのこれまでの実績や、著書も多く出版されており、この本は、木下さんのこれまでの経験で学んだ、地域に関わる際に起こりうる様々な問題や、人間関係、お金の話など、とても、丁寧にわかりやすく書かれている。また、内容は小説形式で、書かれており、登場人物に感情移入しつつ、物語を読み進める中で「こういうの、あるよなー。」と思える事例が出てくる。

内容か気になる方へ。一部無料公開されています。

ぼくは、個人として地域再生に向き合った経験はない。だが、数年以内に地元会津に帰ってくることを考えると、この街のことが、いとおしくてたまらない。幼い頃から過ごした街だし、とても思い入れのある、好きな場所だ。そして何よりも生活者として。

この物語に出てくる高校時代の同級生「佐田」のように、高卒で地元に残り、じぶんの身をぶつけて事業を行なっている人もいるだろう。地元の自治体に就職している人もいるだろう。大学卒業後、東京やその他の地域で就職し、地元への想いを持ちながらも、踏み切れない人もいると思う…そしてそれは、自分の立場にとても近い。

それゆえに、この本は、他人事としては読めず、いちいちじぶんの立場に置き換えて読むこととなった。そして、読み終わった今、何か思いの丈を残しておきたい気持ちになったのだ。

地域に責任があるか?

地元に対して、強い想いを持った人は、東京で過ごしていると思っている以上に多いことがわかる。そして、そうした人たちが何か地元に対して明確に動いているかと言えば、それはほんの一部だ。

何が大きな違いなんだろう?と考えた時、それは「責任」とか「リスク」を地元に置いているかどうかだと思った。

少なからず、地場企業で「仕事」をしている人は、責任があると言っていいだろう。

家業を継ぐなどして、戻るパターンもある。これも責任だ。

その地域に暮らしている。れっきとした責任のあり方だ。単身赴任でも家族が一緒であってもだ。

その地域や、街に対して、お客さん目線でなく、生活者目線で考えることができるかどうか?

たまに帰ってきた時に目にする光景に対して「何もない」とか「廃れた」とか言っているのは、完全に無責任かつお客さん目線の発想だ。観光客として年に数回遊びに来る人たちと根本的には頭の中は変わらない。

どうアクションするか?

結局のところ、責任があるなしは、「アクションをとれるかどうか」にかかってくる。

今年の目標は、1インプットに対して、1アクション。小さな一歩でかまわない。

地域のことについても、変わらない。

やるか、やらないか、だ。

まずは、こうした本を読んだこと自体を自分への戒めとして、記録に残す。

じぶんのありたい姿に対して、小さな小さな一歩を踏み込むことが重要。

社会全般、全てにおいてそうなのだが、世の中ごとになった時点で知れ渡る情報は、表層的なもの。つまり、成功事例のほんの一部。数々の失敗事例について意気揚々と報道するメディアはいない。特に地域を盛り上げる部分を切り取る地元メディアは余計そうだろう。表面に表れてきた見たままの姿を目指すのではなく、じぶんでも踏み出せる「一歩幅に割り戻す」ことをこれから考えていこうと思う。そしてそれは、地元に想いの錨を落としつつ、大きな環境の変化をしないでできる一歩でなくてはならない。

ぼくはこの街に責任がある。

それは、この街を変えようとか、旧態依然をぶっ壊そうとかいう話では全然なくて、あくまで1人、ひと世帯の生活者として。帰るべき家があるのだ。これも責任の形。

家に帰るということは、生活者として、生活をするということだ。地域に暮らすということ。それを「ありたい姿」だと仮定し、踏み出せる一歩を踏み込みながら、ぼくはこれからを過ごす。不安でもあり、たのしみでもある。

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何気に、日々の記録が1ヶ月続いたらしい。





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小川大介/自家焙煎喫茶WEEKEND
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