自然体を「目指す」という違和感、と7月11日の日記
生きやすさのために、「自然体でいる」ということの大切さをいろんなところで耳にします。
そうすることで、逆に「自然体がわからない」という不思議な現象が起きていたりもします。
あらためて自分でも「自分の自然体」について考えてみる。
普段から意識しないでいるからこその、「自然体」なのであって、「こういう形が自然体」というのは、ちょっと違うかもって思うんですよね。不自然体ですよね。
自然でいるというをあまりにも目的として考えてしまうことで、結果、生き方が窮屈で不自然になってしまう。なんというジレンマ。
最近、瞑想に取り組む時間を増やしてみたのですが、その中にある「無我一念」と「無我無念」というものに似ている気がします。
「無我一念」というのは、手段であって、何か一点のイメージや音に集中し、心を澄ませることで、「無我無念」への準備に入る。
で、そのイメージや音がパッと消えた時に、ふと心が空になる瞬間を「無我無念」というそうです。(実際はとてもむずかしいですけどね。)
詳しくはこの本にあります。ぼくは10年前に本で読んだのを思い出して、今ちょうどオーディオブックで聴いているところです。
瞑想もそうですが、何かに集中している時とか、時間を忘れて取り組んでいる時というのは、もしかしたらその人なりの「自然体」なのかも知れません。
そう思うと、普段の生活や取り組んでいる瞬間瞬間に「自然体」は隠れていて、それに気づくきっかけを持つというのが案外近道なのかも知れませんよね。
最近、心を鎮めて、瞑想をしたりする時間を持ったことで、そんなことを考えるようになりました。
自然体は「目指す」ものではなくて、それそのまま「在る」だったり、「居る」ものなんだろうと思います。
そんなことを思いながら、今日も一日過ごしてみます。
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7月11日(土)
朝、「ゴミ捨て行ける?」という妻の声で目覚める。8時ちょうど。ウォーキングの支度をしてから、ゴミを出して、そのまま歩いてくる。
ジメっとした、夏という感じ。
帰宅してシャワーを浴びて、着替えると妻と娘は用事があって出かけるとのこと。
朝食に作ってくれた、ホットドッグを食べる。コーヒーを淹れようとして豆を電動ミルに入れたところ、ヒューズが飛んで、動かなくなる。
内部に豆の破片が詰まってしまい、それが原因ぽいので、説明書を取り出して、一旦分解して中身を掃除してみる。予備のヒューズもなくなったので、Amazonで注文する。500円ほど。
普段のお手入れをもっとこまめにやろうと決意。こういうきっかけは大事。
お昼から豊島園のユナイテッドシネマで「風の谷のナウシカ」を予約していたので、映画館へ。
ナウシカ、原作も読みたくなる。映画館で昔のジブリを観るのは、いい。
帰宅途中、セブンでビールも軽食を買って帰る。16時からは、友人の日本酒の会をオンラインで参加する。日本史と日本酒を絡めた配信でおもしろい。
その後は、少し眠くなったので軽く昼寝をして、夕飯前に起こされる。
夕飯は、素麺と茹でたとうもろこしで軽めに済ませる。とうもろこし、夏って感じがする。
夜は、ラジオを聴きながら過ごして、瞑想をしたり、本を読んだりして就寝。
土曜日らしい、土曜日。