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とある新陳代謝の記憶

 我ながら『RRR』鑑賞翌日のテンションとしておかしいことを書こうとしている予感がする。これからしめやかな話を書こうとしているはずなのに。いまのテンションとはあまりに相容れない。

 これもうK・B・S・N騎馬戦じゃーん?

 『RRR』は暗黒言論の使い手なら大爆笑間違いないので、いずれまた書きたい。立場を超えた共感がたのしめることウケ合いだ。お互いに、観ているものは、ちがう!




 ──そう、互いに見ているものは違うのである。

 正義の味方と悪役と。経営者と労働者と。仕事人と芸人と。男と女と。陽キャと陰キャと。老人と若者と。書き手と読み手と。同じものを見ていても、違った「読み」をしてしまう。なぜなら見るのに使うツールが異なるからである。

 望遠鏡を覗き込むつもりで、顕微鏡を覗き込んだら大変だ。万華鏡を覗き込んだらと思って潜望鏡だったらご愁傷様。夜空にきらめく星々と、生命の神秘。いずれも宇宙という表現はあてはまるのに。父なる空と母なる海を勘違いしたらシバかれる。シヴァ神は破壊と再生を司る母神ぞ。おそれおののけ浮気者ゼウスども。

 人類が、ちちとははでどっちが強いか選手権のギャグで張り合っているだけなら超能力の使い手ガールの立場としてもな。ほっこりするだけであるが。しかし互いに張り合いがなくなると明かりが落ちる。

 新陳代謝、破壊と再生の時間がやってくる。

 というわけで『RRR』鑑賞ついでに、先日観測した記録の水平展開たる追跡調査をふらりと行った次第である──。

 なんということでしょう。ここまでが壮大な前座です。

 聖書とかそういうのウケないのは、このファスト教養時代においてやむを得ない。はよ本編に入れ。はよう。そうですわたしが遅すぎて変なおじさんです。でも内容がないので。だって内容は「なんか前に更地になってた通りであらたに2,3更地できとったで」だけなので。

 本当はそうでもなくて「更地にしている瞬間」をいくつか目撃した。ある場所は謎の近所の有志があばら家を片付けていた。これは……一族の者か……? またある場所は普通に建築仕事人がショベルカーでごっそりやっていた。土埃がクッソ舞うので、一撃やったらタバコふかす勢いで超ゆっくりだぁ……近所迷惑はシツレイでウチクビだから大変だぁ……と感心した。

 つまり新陳代謝分野の「釣り針フック」を手に入れて、以前より釣りがはかどるようになったのである。しまいにはインターネットでも釣れた。

 田舎にも穏やかなところと穏やかでないところがあり、概ね穏やかでないところからの脱出者により、へいとすぴーちが流しそうめんにされがちである。そして逆に穏やか田舎勢から反対の声が上がる。

 お互いに見ているものが違う。

 そして穏やかでない田舎から脱出せず、しかし穏やかに暮らす戦いを繰り広げる勇者をわたしは知っていたのである。その勇者から「魔王が……寿命を迎えた……(意訳)」というつぶやきがポロリと。

 暗黒時代の夜明けである。しかし魔王の残党はいまだ燻り、一方で地獄のケルベロスはにゃーんになってしまった。なんと! ケルベロスは魔王が撒き散らすストレスで狂暴になっていただけなのである……。そして魔族と人族が折り合いをつけるべく、きっと互いにイチモツを抱えながら時に交渉しあい、時に出方を観察しあう。真剣のない心剣勝負。死合な試合。ちいさな政治。

 そして100年後から見ると、今はなんという時代だったのだろうと笑えるのだろう。2020年代の日本から、1920年代のイギリス統治時代の「ヤンチャ」にイキり返して「うおおおおおおおおおおおおおお!」と吠えて踊るインド人を観てそう思う。

 新陳代謝をすすめよ。急がずにすすめよ。犀の角のようにただぼっちでRockに歩め。Reuse, Reduce, Recycle──いけない、それは3Rだ。カビの生えた物語stoRyは、fiReにかけて、wateRに流さねばなるまい。こっちがRRRだ。これまでに発生したあれこれの功罪に敬意を表して、葬式を執り行うのだ。

 やっぱり『RRR』の話になっちまったぜ……。

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aizuk
われわれが深淵を覗くとき、深淵もまたわれわれを覗いているのだ……