第3弾 四畳半神話大系について
はじめまして。会津大学アニメ研究会のヤマウチです。
「アニメ一話レビューウィーク」、今回は私が担当します。今まで感想文というものを書いたことなどほとんどなかったものですから、今回うまく書けているかどうか。ひょっとすると電子の海を介した公開自慰になっているやも。どうぞブラウザバックなどせずに楽しんでいただけていたら幸いです。
年の暮れですね。皆さんは実りある一年を過ごせましたか?私はダメでした。無念。突然ですが私は今自分が何年生か分かりません。大学に入った時に「花の大学生。少しだけ遊んだとてバチは当たるまい」と高をくくりそのまま留年。おかしい。どうしてこんなことになったのか、責任者は誰か。私だ。過去の自分は大変蒼く、春の陽気にやられたスカスカの脳みそで薔薇色のキャンパスライフを夢見ていました。地続きの自分であるくせに思わず生暖かい視線を向けてしまう。悲しいかな、私にも新生活に心をときめかせていた時期があったのです。薔薇色に輝くと思われた大学生活も今では会津の冬空のような灰色。あゝ無情。はてさて、挨拶が長くなりましたが今回紹介するのはそんな私と同じような不毛な学生生活を送っている大学生が主人公のアニメ、四畳半神話体系です。
四畳半神話大系とは
四畳半神話大系は2010年4月から7月にかけて放送されたテレビアニメである。全11話。
原作は森見登美彦。監督は湯浅政明。最近の作品では「映像研には手を出すな!」の監督を務めた。キャラクターデザインはASIAN KUNG-FU GENERATIONのジャケット絵でも有名な中村佑介。制作はマッドハウス。
作風としてはポップ&シニカル。湯浅政明のモダンな画と森見登美彦の軽妙な文章からなる。絵は簡潔な線と形で描かれ、抽象的な印象を覚えた。筆致はゆったりとしており、柔らかく滑らかである。そのためか空間や骨格が歪んだような画が多く見られるが、それが時間に伴う移ろいや生き生きとした動きを生み出しているように思える。また、森見登美彦の文学的でユーモラスな文章は淡々と書かれているようでその実軽やかなリズムを持っている。この軽妙な文章が各声優によって発せられるとよりその妙を文字だけでなく音でさえも噛み締めることができる。これは声に出して読みたい日本語100選に入ったり入らなかったりすると思われた。
あらすじ
主人公「私」が3回生(小説版ではそう書かれていた。アニメ版ではいさ知らず)の時点で自身の不毛な大学生活を振り返る形で、京都を舞台に展開される。「私」は理系を専攻とする男子学生であり、例にも漏れず内向的であり、特筆すべきところのない平々凡々な人物である。典型的な理系学生であり、交友関係は少なく、彼女もいない。唯一いるのは何かにつけて絡んでくる厄介な小津というやつだけである。そんな「私」があの時ああしていたらどうであったか、を悔いながらつらつらと語っていく。
OP「迷子犬と雨のビート」
曲はASIAN KUNG-FU GENERATION。
実際の映像をポップなイラストにコラージュさせた映像が流れている。コラージュによって彼らの世界の奥行きが増し現実感が増している。我々の世界と地続きのような感覚を覚え、その土地の匂いさえ香ってくるようだ。カメラは次々に物が雑然と置かれた空間を映し出し、様々な人物の股を通過していく(この時どこを見ればいいか戸惑っています。私には人の股を注視する趣味はないのです。一体どこを見れば良いですか?教えてください)。映し出された空間は大学生に似つかわしい汚い寮である。年季が入り歴代の数多の住人によって手垢やら油やら埃やらが積層しているだろう。汚い寮というものは大学生の自由と貧乏を率直に表すものだと思うし、これから発せられる或る一種の青い光を眩しくも思う。モデルは京都大学の吉田寮だという。吉田寮と聞いて喜ばないオタクはいない。私はOPの時点でこの作品に好意を持ち始めていた。
感想
さて、この作品の特筆すべき点は登場人物の軽妙な語りであろう。第一話の初めからとてもハイテンポな主人公の語りが展開されて私は少々焦った。あわや右の耳から左の耳へと流れていってしまいそうなほどテンポの速く、流暢でかつユーモラスな語り。俺でなきゃ聞き逃しちゃうね。彼の語りは全体的に少々周りくどい喋り方に思えるが、そこが彼の偏屈なところを表しているのだろう。実際に彼が話す言葉数は少ないことも相まって頭の中でだけは饒舌な様子が見て取れる。まるで私たちではないか。急に親近感が湧くのであった。好感度はまたもや上昇。
そして彼だけでなくこの作品の登場人物は口が達者だ。特に小津と樋口の口の回ること回ること。口から生まれてきたとは彼らのような人を言うのだろう。どのように育ったらあのような屁理屈モンスターになれるのであろうか、口の回る人というのは頭の回転が速い人とも言われるらしく、口下手な私にとっては羨ましくもある。
この作品は軽妙な語りの他にポップアートチックな絵と時折挟まれる実写映像が特徴的である。キャラクターも特徴的な見た目をしているからか、妙なアニメーションに思われるかもしれない。しかしながら物事を見た目だけで判断してはならない。それが好機を逃す原因かもしれませぬぞ。それにこういうものは何度も見れば見るほど慣れるどころか愛着さえ湧いてくるのだ。個人的に小津が一番良いですね。愛らしさと憎さが併存している魅力的な造形だ。そして独特な見た目をしたキャラクターたちがのびのびと動く様子からは目が離せない。監督特有の揺らいだ線の効果か、絵が常に動いているような気がして、大量の情報を何とか処理しようと、高速な語りも相まって画面に齧り付くことしか出来なかった。監督の罠にまんまとハマったのかも知れない。
************ネタバレ**************
初めから卑猥なSEとともに主人公の住む京都、下鴨神社近辺について説明がある。そこには夜な夜な猫ラーメンという奇怪な出店が出現するらしく、主人公はそのラーメン屋をこよなく愛していた。そこに妙な姿をした男が登場。ラーメンを一啜りで全て食べてしまうなんて彼は妖怪であるか。違った。彼はこの神社の神であり、縁結びの神でもあるらしかった。嘘だろ承太郎、ああ嘘だぜ。
彼は主人公と同じ下宿に住む住人であり、同大学の八回生であった。名を樋口という。それらしく振る舞いながら詭弁を弄して嘘を語る姿には舌を巻く。
月明かりに照らされた神は神々しく輝き、何やら帳面を取り出した。そうして何をいうか、明石さんと小津か主人公のどちらかの縁を結びつけるらしい。こいつは何を言っているのか、驚き呆れ唖然とした主人公と我々視聴者を残してOPへと移行する。
OPが終わるとともに「私」の経歴が語られる。高校までは陰気に過ごしていた彼だったが、大学では薔薇色の大学生活を掴むべく、春の陽気なふわふわとした足取りのまま意を決して掴み取ったのはテニスサークル「キューピッド」であった。テニサー。ヤリサーともいうべきか、いやここは文字ってペ○サーともいえるだろうか。球を打ち返して汗を流してキャッキャうふふ、球だけでなく甘酸っぱい爽やかな言葉の一つや二つでも投げかければそれはもう男女の睦言かもしれない。実に青春である。そのあとは軽薄な言葉で食事にでも誘い、夜も張り切って汗水垂らす運動だ。ご苦労な事である。どこからその体力が生み出されるのか甚だ疑問に感じる。それとともに自らの怠惰によって生み出された虚弱な肉体と精神を怨みもする。
さて、テニサーに入った彼は薔薇色の脳みそで理想的なことを考えていたが、今までできていなかった事を急にやろうとしてもどだい無理な話であった。
「友達百人できるのも悪くないと高を括っていたが、人と爽やかに交流することがいかに難しいかを思い知らされた。ラリーどころかまともに打ち返すことも叶わず、打ったボールは返ってこない。柔軟な社交性を身につけようにもそもそも会話の中に入れない。会話に加わるための社交性をどこか他所で身につけてくる必要があったと気づいた時にはすでに手遅れであり、私はサークルで居場所を失っていた。」(引用)
この歌詞私のことだ……。あまりにも自分のことのように思えて私の彼に対する好感度は鰻登り。それにしても、今までできたことのない事を、何の努力もしていないのにも関わらず、新しい環境に身を置けば何とかなると思えてしまうのは何故だろう。これは人生の七不思議に入りはしないか。
閑話休題、そんな会話さえままならないような彼にも好意を抱いている人がいた。彼はふはふはとして美しいことしか考えていなさそうな黒髪の乙女が好みであった。奇しくもテニスサークルにそのような女性がおり、ある時、彼なりに勇気を持ってそのような女性に勇気を持ってアタックをしてみたのだったが敢えなく失恋。ついでに現実という鋭い刃が彼の浮ついた心を一刀両断したのであった。笑えるとともに実に悲しい。
こうして元々浮いた存在であった彼は完全にサークル内で居場所を失った。そうして彼がぼうっと楽しそうな男女のラリーを眺めているとトントンと肩をたたく者が一人。それは小津という酷く縁起の悪そうな男であった。妖怪のような奇怪な見た目をしていて成績は低空飛行、人の不幸で飯が3杯いける、およそ良いところが何もないと思われる男だ。そのような男と彼は出会い、唆され、まんまと罠にハマってしまった。彼は小津と一緒に恨みあるテニサーの恋路を邪魔し、ありとあらゆる手段で赤い糸を切って切って切りまくった。それが不幸してサークルを追われることになるが彼に怖いものなどなかった。サークル外でも立派に活動を果たし、こうして彼らは人の恋路を邪魔する黒いキューピッドとなったのである。悲しい男の誕生である。
ある夏の夜、彼らは今回もいつもと同じように黒いキューピッドとして男女の赤い糸を切るべく、下鴨デルタという恋人の聖地でバードマンサークルがコンパをしているところを花火を向けて襲撃する予定であった。しかしあろうことか今回はなんとあの明石さんがいたのである。明石さんとはひとつ下の学年の女性であり、下鴨神社の古本市で見かけてから少々気になっている人であった。
「貸せ」
小津の望遠鏡を奪って川向こうを見る主人公。この場面の眼鏡を外してレンズを拭き再び掛け直す描写が素晴らしい。一人称の視点だというのに、ボヤけた視界がメガネを外したことを表現している。しかもレンズを拭いているところからもっとクリアに見たいという欲求が読み取れる(眼鏡使用者が眼鏡を外すのは寝る時か皮脂や埃で汚れたレンズを拭く時ぐらいだ)。こんなに少ない描写で彼の、明石さんを一目見たいという好意までもが読み取れるのだ。何と素晴らしい映像か。
小津の口車に乗せられ、唆された私は黒いキューピットとしての無用な誇りを胸に、武士の如く名乗りを上げた。点火された花火は仲睦まじい人々を散らしていったが、鴨川というのは思ったよりも浅い川であったようで、怒りを買った二人はバードマンサークルの血気盛んな男たちに追いかけられることとなる。
鴨川コンパ襲撃のあと、這う這うの体で逃げおおせて木屋町通で歩いていると、そこにはとんでもない妖気を垂れ流している占い師の婆があった。これだけの妖気を無料で垂れ流す老婆の占いが当たらないはずがない、と論理的(論理とは何か)に考えた主人公は占いを受けたることにした。占いというものではよくあることかも知れないが、老婆は当たり障りのない耳障りの良い言葉を主人公に投げかけた。そして見事彼の心を掌握。
「老婆の慧眼に私は早くも脱帽した。能ある鷹が爪を隠すが如く慎ましく隠し過ぎたせいで自分でも所在がわからなくなっていた私の良識と才能を一目で見抜くとは」(引用)
ものは言い様である。何もないのと同義ではないか。NULLと0の違いであろうか?しかし私はこの台詞回しを気に入った。私本「声に出して読みたい日本語100選」に入れておくとしよう。
小津との愉快なやりとりや明石さんとの貴重なやりとりがあるが色々飛ばして……。(ここも良い味がするので是非見てね)
家に帰った私がそこで見たものは妖怪、いや小津であった。小津は大きなカステラを持って家に勝手に上がり込み居座っていた。私を巻き込みおって。カステラを置いてさっさと出ていけ、こうして妖怪は去った。カステラを開けてみると小津のくせに立派なものを持って来やがった。しかしながらこんなに大きいカステラを一人で食べるなど。叶うことなら他人と一緒に食べてみたいものだ。たとえば明石さんとか……。明石さん。そこで彼女の名前が出てしまうのは意外か必然か。
「刹那的な悲しさから赤の他人を求めるなど私の信条に反する。そうやって孤独に耐え得ずガツガツと他人を求める不埒な学生たちを軽蔑すればこそ恋の邪魔者という限りなく汚名に近い名を馳せて来たのではなかったか。」(引用)
黒いキューピッドとして長いあいだ人の恋路を邪魔してきた自分がいまさら本気を出して恋をしてみようとしても良いものだろうか、しかしながら憎らしい小津と彼女がくっついてしまうのもまた悔しい。ということをこのソーンでは周りくどく論理で武装している。実に内向的で理論家で考えをこねくり回すのが好きそうな彼らしく微笑ましいシーンだ。
悔しさに身を任せ大きなカステラを一人で貪り食うシーンは妙に生々しい情けなさが漂っていて見ているこちらまで気まずくなり目を逸らしたくなってしまう。これが憐憫というやつであろうか。大きなカステラを一人で食べるのはまさに孤独の極地である。そうして憐れにもカステラを貪り食っていると電灯をつける紐に妙なマスコットを発見。これはモチグマと言い、明石さんがかつて無くしたのを主人公が拾って、結局渡しそびれていたものでもあった。そうであった、好機とはこれである。やはり小津と彼女がくっつく事は悔しい以前に彼女の人生を変えてしまうのではないか、決して悔しいわけではない、そう考えて幾通りもシミュレーションを重ね、夜が明けた。主人公は寝不足の頭と体で決意を胸に勇んで古びた階段を登り二階の住人である樋口(縁結びの神)の元へと赴いた。寝ぼけた神に「小津はいけません。私と明石さんにしてください」(何だかハリーポッターの組み分け帽のようなセリフである)と言うと軽い電話で了承。そんなんで良いのか。
五山送り火の日、こうして樋口にまんまと嵌められてた主人公は向こうからやって来ると言われた明石さんを逢引きに誘わなければならなくなった。縁結びの神が聞いて呆れる。良い感じに縁を結んでくれるのではなかったか、正攻法ではないか、と怒る主人公。無理もないだろう。しかしここまで来てしまった以上仕方がない。今までの黒いキューピッドとしての誇りやら悪事やらを水に流し、意を決して揺れる人ごみの中を邁進するのであった。樋口が言ったように明石さんは本当に現れ、途端にキュビズムのような絵になってしまった。カクカク言ってて笑える。ここが一番面白い。若者の恋愛沙汰を見るのが好きな年寄りにでもなった気分で若い男女のやりとりを眺めるのは面白いものだ。しかし本人にとっては笑い事ではない。このような状態では会話もままならない。そうして話もできないまま会話は終了し一息ついたところで小津が登場。樋口と小津は協力して主人公と明石さんを引き合わせたらしかった。余計なお世話である。小津は大勢の人に追いかけられ欄干に乗って何やら叫んでいたが、足を滑らせ川へ転落。足を折るなどした。主人公は小津を追って手すりに駆け寄るが何やらの恨みを買った小津の仲間だと思われ、彼もまた川へ投げ出されたのであった。災難であるか、彼もまた悪事を働いた人間であるから業といえようか。そんなこんなで第一話は終了する。あの時テニスサークルなど選び取らなかったら、という後悔を残して……。
まとめ
四畳半神話大系は第一話が抜群に面白いと思っています。私個人としては。次点で最終話。それ以外は最終話に至るための布石であると捉えています。
不毛で無意義な大学生活に燻りつつも、特に何をするわけでもない学生の皆さんにおかれましては、ことの始まりとして四畳半神話大系を見てみるなどいかがでしょう。もしかしたら何か運命的な出会いがあったり天啓が降りてきたりするかもしれません。もし何も得るものがなかったとしても刺したりしないでください。世の中は理不尽で無責任です。
書いた人 ヤマウチ