「まち」が「町」であるために(人ノ町/詠坂雄二)

『人ノ街』……じゃなかった、『人ノ町』を読み終えた。


普段、「まち」は「街」と書くことが多いから、つい間違えてしまう。


「街」と「町」。同じ意味で、同じ読み方で、書き方だけが違う。この差は、何なんだろう。

[町]
地方公共団体の一つ。市と村の中間に位置する。

[街]
商店などの並んでいる、にぎやかな区域。

――北原保雄編『明鏡国語辞典』2002年より引用

『人ノ町』に登場する町は、どちらも当てはまっているように見える。それでも、『人ノ』は『人ノ』ではダメだったんだろう。なぜなら、舞台は亡びゆく世界だから。そんな世界に点在する「町」は――たとえ、栄えていても――「街」と呼ぶにはふさわしくないから。

「……玉座は大切なものなのですね」
「なに、真に大切なのは町と人よ。信仰も玉座もそのためのものにすぎん」

――『日ノ町』p95より引用

各章に登場する町には、それぞれ通称がある。


犬ノ町、日ノ町、北ノ町……。


町の名は、外の人達が付けたものもあれば、内の人達が自ら付けたものもある。そして、その名を自負する人間もいれば、忌む人間もいる。


名は、付けられたそのものを表す。


たとえ、名が簡素なものであったとしても、その由来は、決して容易に読み解けるものではない。名が表している町を読み解かなければ、出来ないことだ。


そして、町を読み解くことは、人を読み解くこと。


ここまで突き詰めれば、名を読み解くことが、どれだけ大変なことなのかがわかる。でも、その道程が険しいからこそ、知ろうとする人間が存在する。


旅人は、その象徴だ。


名を求め、町を求め、人を求める。


それは、そのまま旅の目的になる。


その行為の是非はわからないけど――いや、わからないこそ求めたくなるんだろう。


未知は、人を生かすための武器なんだ。

彼女は歩き続けた。目的地は決まっていないが、次の町を訪れれば自然と定まるだろう。その確信をなんと呼ぶか迷うこともない。業という名の、道標だ。

――『石ノ町』p202より引用

『人ノ町』には、表題作がない。


つまり、『人ノ町』という章はない。


それが何故なのか、読んでいる内にわかった気がした。


人が生き、
人が亡び、
そして、また芽吹き――。


その営みは、栄衰に関わらず、どの町でも繰り返される。


そこに人が居る限り、続いていく。


人ノ町。

5/13更新

人ノ町/詠坂雄二(2019年)

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