絡んで、絡めて、解かないで(愛情観察NEO/相澤義和)
3年前の記事に、「女の子の、背中やお腹が好き。」とこぼしていた。変わってなさすぎる。3年なんて、変わるには短いか。というか、変わるもんなのか。性癖というか、フェチというか。どうでもいいだろうけど、お腹の方が好きです。
それなりに人と交際したことはあるのに、恋愛したことはろくにない気がする矛盾。そういえば、女の子と付き合ったことはない。(好きになったことはあるけど、そもそも当時ぼくの方が付き合っている人がいたりして、成就しなかった。)ぼくの性別はあやふやで、訊ねられても答えられる気がしない。わかっていることといえば、もし女の子と恋愛することがあれば、ぼくは男でありたいこと。それは、前々から感じていること。(一応言っておくと、パートナーが一番大事なので、浮気する気は毛頭ないですよええ。)
眼差しは、愛。
『愛情観察』も『愛の輪郭』も、そして『愛情観察NEO』も。そこにいる女の子達は、セクシュアルで、時々奔放で、「好きな人の前だけで見せる自分」を体現している。なので、彼女達を前にすると、まるで自分が、彼女らに唯一触れることのできる恋人であるかのように錯覚する。その錯覚は、恋人特有の優越感になったり、刹那的な美しさ、愛らしさに当てられた目まいになったりする。現実に、ぼくにそんな女の子はいなかったけど、もしいたとしたら、こんな気分になったんだろうか。そんなことまで考えた。
彼女達は、どうしてこんなに魅力的なんだろう。それは、もともとは魅力的だから。が、わかりやすい理由なんだろうけど。「好きな人の前だけで見せる」姿だから、彼女達をよりいとおしく思うんだろう。この本を開くときだけ現れる、恋人達。また閉じられるまでの、短い邂逅。(なんだか、セクシュアルなビデオ(婉曲表現)を見るより、背徳感がある。)彼女達の目には、熱がある。こちらを捉えて離さず、そのまま溶かしてしまうほどの。本当に溶かされるとしたら、それはどんな心地なんだろう。
「ことばはいらない」とか、陳腐な言い回しだけど。でも、眼差しに絡めとられ、そのまま営むのは、愛以外の何物でもない気がする。誰にも、何も言わせない。そんな強さを感じた。
愛情観察NEO - 相澤義和(2022年)