終わりを拾い続ける僕らは、(終わりつづけるぼくらのための/岩倉 文也)
「ただね、もしあめだまが、地球だったら、って思ったの」
「地球?」
「うん、地球。わたしの口の中で、ころころーって転がして、溶かして、飽きたら砕いちゃう。全部わたしの思うまま。そうだったら面白いなあって」
――『あめだま』より引用
世界は、終わりに近付いていない。
ただし、「終わらない」わけじゃない。
突然、パッと終わってしまうものだと思っている。
藤子・F・不二雄の『ある日……』を読んで、そんな考え方をするようになった。
『ある日……』は、ある青年が、平凡な日常を延々と映し、最後にプツン……と映像が途切れる作品を仲間内に見せる話だ。
これが「本当の世界の終わりだ」と青年が熱弁している最中に、『ある日……』というマンガ自体がプツン……という擬音と真っ白なコマを残して終わる。
世界は、いつ終わってもおかしくないんだな。
そう思った。
ぼく、時々とっても怖くなるんだ。この世界がクリア後の、もうどんなイベントも起こらなくなったゲームの中みたいに感じられて。
――『コントローラー』より引用
さて。
世界が終わったら、どうしよう。
大切な人がいるから、もしそのときそばにいなかったら、探しに行くだろう。
でも、世界が終わる前に、すでに失っていたら。
僕には、もうすることがないんじゃないか。
自分は、長生きしないと思っているけど。
そういう人間こそ、長生きしてしまいそうで。
「もう、何もすることがないな」
そう考えたら、人は死を選んでもいいのだろうか。
それとも、生きた方がいいのだろうか。
世のため、人のため。
けれど、世界が終わったら、世も人もなくなるんじゃないか。
それなら、好きなように生きるか、好きなように死ぬか。
どちらかしか、ない気がする。
世界の果てについてぼくは考えていた。
――『のぼり棒』より引用
旅でもしようか。
『少女終末旅行』よろしく。
(もっとも、アレは生き延びるために旅をしているのだけど。)
世界が終われば、どこにいてもいいし、どこにいなくてもいいもんな。
秩序とか、そんなもの、失せているだろうし。
でも、よくよく考えれば。
世界は、パッと終わるかもしれないけど。
僕らが、徐々に終わっていくことに、変わりはないんだな。
(世界と同時に、パッと終わる可能性もあるけど。)
悲しくなってくる。先輩が死にそうなことにではなく、ぼくがまたひとり、この世界に取り残されるであろうことに。
――『睡眠薬』より引用
……今。
僕『ら』って、僕は言ったのかな。
たぶん、終末は一人きりだけど。
僕に『ら』を付ければ、寂しくない気がする。
僕らは、徐々に終わっている。
徐々に終わっていく世界が、パッと終わってしまうまで。
その日まで、何かの終わりを拾い続けている。
『終わりつづけるぼくらのための』
終わりつづけるぼくらのための/岩倉 文也(2021年)