その静寂を、泳いでゆけ(Afterimage/Takaaki Izumi)(1636字)
註:本文は、ライナーノーツではない。筆者が本作を通して目にした光景だ。
眠っていないのに、夢を見ることがある。
「アレは、現実に起こったのだ」と思っていたのに、そうではなかったことが、時々ある。あれは、夢だったのか現だったのか。どれだけ現実離れしていようと、判断しかねることがある。
例えば、海の上に立っているとき。
ヒトは海の上に立てないので、やはり夢なのだと思う。けれど、足の裏が水を掴む感覚は、覚えがあるものだ。空と海の境界は曖昧。岸は見えない。何も聞こえない。僕は、どこにいるんだろう……。
――もし。
突然、声をかけられる。
その人は、僕の眼前に立っている。
人……だと思う。たぶん。おそらく。コートを着込んで、帽子を被って、あと……青リンゴで顔を隠しているけど。
いつ、現れたんだろう。もしかして、気付いてなかっただけで、ずっとそこにいたんだろうか。
――どこかで、お会いしたことがありますね。
僕も、声をかけてみる。
――あなたがそう思うのなら、きっとそうなんでしょう。
彼は、いやにまどろっこしい言い方をした。
――『人の子』ですね。……マグリットの。
――よくご存知で。
――好きな絵なので。
(ルネ・マグリット『人の子』1964年,MUSEYより)
そもそも、これが夢なら、僕が知っているものしか出てこないだろう。
――あなたは、ここから出たがっている。
彼はいった。
――まあ、出たがってはいますね。……ここが夢なら。
――そうですね、夢なら。……それなら、気を付けることはただ一つです。
――気を付けること?
彼は、まるで子どもにそうするように、唇……は見えないので、青リンゴの前で人さし指を立てた。
――静寂を守ることです。
彼は、霞のように消えかかっていた。
――口を出してはいけない、ということです。ソコに在るものは、在るべくして存在しているのですから。
*
彼がいなくなり、ここから出るヒントもなくなったので、とりあえず前方へ進むことにした。(もしかしたら、前方ではなく後方かもしれないけど。方位が、全くわからない。)
しばらくすると、「誰か」が見えてきた。いや、「誰か」と「誰か」か。……二人いる。
ただならぬ雰囲気を感じたので、彼らの姿は遠巻きに確かめることにした。
卵型の、凹凸のない、つるりとした顔。彼らは、そんな顔と顔を、不安そうに寄せ合って……。
『ヘクトルとアンドロマケ』
作者は……キリコだっけ。
(ジョルジュ・デ・キリコ『ヘクトルとアンドロマケ』1917年,MUSEYより)
僕はただ、黙り込んでいた。それは、彼らに話しかけることに等しい。つまり、静寂を破ることになってしまうから……。彼らの間には、彼らに必要な静寂が漂っているのだから……。
僕は、彼らの無事を祈り、その場を後にした。
*
静寂は、人を不安にさせ、人を安心させる。
考えてみると、おかしな話だ。不安になろうと安心しようと、ソレが静寂であることに、違いはないのに。そこにいる人間が何を感じるかで、静寂の質が変わってしまうのだ。
この世界の静寂は、どちらなのだろう?
――あ。
思わず開いてしまった口を、なんとか閉じる。どうやら、ここが終点らしい。変わらず岸は見えないけど、彼がそこにいるのだから。
彼は、『人の子』ではない。ヘクトルでもない。
僕は、彼に会ったことがある……と思う。彼のことを知っている……と思う。あんまり自信が持てない。どちらにせよ、彼にそれを問いかけることはできない。ここで、声を発することは――。
――ここは、終点ではありません。
『人の子』の声がする。
――夢は、必ず覚めます。……けれど、それで終わりではないのです。なぜなら、
夢も現も、僕の/君の ものだから。
僕の口が、
彼の口が、
同時に動く。
ああ、そういうことだったのか――。
そして僕は、夢から覚めた。
*
眠っていないのに、夢を見ることがある。
それは例えば、音楽を聴いているとき。
この夢は、『Afterimage』。
残像。
あるいは、果てで見るもの。
静寂を漂った、僕が見たもの。
Afterimage(『Afterimage』表題曲)(Spotifyより)
Afterimage/Takaaki Izumi(2020年)(LinkCoreより)