小説と映画の両方を楽しむ方法とは
先日、原作と映画どちらを先に手に取るかという話をした。そこで今回は小説と映画の両方を楽しむ方法がないか模索したいと思う。
✴︎小説と映画を楽しむための方法
方法①:どちらを先に楽しむかを決める
小説を先に読む:小説を先に読むことで、物語の詳細やキャラクターの内面描写をあらかじめ把握できる。小説では主人公以外のキャラクターも丁寧に描けるが、映画では主人公の視点がメインで物語が展開されることが多い。例えば、『ハリー・ポッター』シリーズでは、小説に登場する多くの脇役やサブストーリーが映画では省略されてしまっている。実に惜しい…小説を先に読むことで、各キャラクターの背景を押さえたり、細かな設定などを頭に入れてから映画を楽しむことができる。
映画を先に見る:映画は物語の全体像を短時間で把握できるため、複雑な設定やストーリーラインを持つ作品の理解が容易になる場合がある。例えば、『DUNE』のような世界観が独特なSF作品では、砂の惑星の雰囲気を映画で先に把握しておくと、後ほど小説に入り込みやすくなる。映画が想像力の一部を補完してくれるのだ。また、映画で省略されていたシーンや背景設定、キャラクターの内面描写など、小説を通して発見する楽しみが生まれる。映像が頭の中にある分、映画のシーンを思い出しながら、内容に肉付けを行うことができる。
方法②:期待値を適度に調整する
現実的な期待を持つ
映画は小説とは異なるメディアであり、全ての内容を再現することは難しい。映画を別の作品として楽しむ心構えを持つことで、違いに対する失望を避けることができる。映画の強みを楽しむ
映画の魅力は音楽、映像、演技など、小説にはない要素を楽しむことができる点にある。例えば、『華麗なるギャツビー』(2013)では、原作の1920年代の雰囲気を服装や髪型、メイク、ジャズ音楽で表現している。ギャッツビーの衣装に関しては、スーツの裾にまでこだわって選んだというから驚きだ。当時のビジュアルを再現できるというのはやはり映像の強みである。他にも、各シーンの世界観に合わせた楽曲を作成するなど、多くの人が関わる映画ならではの表現には魅力が詰まっている。この特別映像では、『華麗なるギャツビー』を通して映画の醍醐味について少しだけ詳しくなれる。
方法③:独立した作品として鑑賞する
◆比較ではなく個別の体験を重視
小説と映画を別々の作品として楽しむことで、それぞれの良さを最大限に感じることができる。比較するのではなく、それぞれのメディアが提供する体験を個別に楽しむことが重要だと考える。
★必殺技:時間を置く
小説を読んでから映画を見る(あるいはその逆)までに、意図的に時間を置く。これにより、それぞれの作品を独立して体験する機会が生まれる。例えば、小説を読んでから1ヶ月後に映画を見ることで、小説の印象が薄れ、映画を新鮮な目で楽しむことができる。
方法④:違いを楽しむ視点を持つ〜変更点から新たな解釈を
◆変更点を楽しむ
映画化に伴う変更点や追加されたシーンを楽しむことで、新たな視点や解釈を得ることができる。これにより、同じ物語を異なる角度から楽しめる可能性がある。小説では文体や内的描写、映画では演出や音楽など、それぞれのメディア特有の要素に意識的に注目すると良いだろう。
方法⑤:文化的・歴史的コンテキストを探求してみる
作品が創作された時代背景や文化的コンテキストを理解することで、小説と映画の両方を楽しむことができると考える。
作者や監督の他作品を調べる
創作者の作風や思想を把握することで、演出の経緯を知る楽しみが増える。時代背景の研究
作品が生まれた社会的・文化的背景を学ぶ。作品が生まれた時代の課題や、作者が社会に問いかける想いをつかむきっかけになる。アダプテーション理論の学習
小説の映画化に関する理論や歴史を学ぶ。小説を映画化する際に、削ったシーン、増やしたシーンを説明できるようになり、より小説と映画の違いを理解しながら楽しめるようになる。
このような探求をすることで、今まで別々に楽しんでいた小説と映画の体験が根本的に変わるだろう。
方法⑥:同時体験の試み:リアルタイム・デュアル体験への挑戦
小説を読みながら同時に映画を視聴する通称「リアルタイム・デュアル体験」を試みることで、両メディアの違いをより鮮明に感じ取ることができると考える。
小説の特定のチャプターを読んだ直後に、対応する映画のシーンを視聴する。
映画の特定のシーンを見た後、小説の対応する部分を読み返す。
この方法は、両メディアの表現の違いや、ナレーションと視覚的表現の関係性をより直接的に比較することが可能。ただし、この方法は集中力を要するため、作品に精通した後の2回目以降の体験として試すことをお勧めである。
✴︎最後に
◆原作ファンが陥りがちな「原作至上主義」の罠とその回避方法について
「原作至上主義」とは、原作の完全な再現のみを良しとし、それ以外の解釈や変更を受け入れない態度を指す。これは作品を楽しむ機会を狭めてしまう危険性があると考える。例えば、「アメリカン・サイコ」の映画版では、原作小説の過激な描写が大幅に抑えられているのだが、これを単なる「原作の裏切り」と捉えるのではなく、社会批評としての新たな解釈を提示していると考えることもできる。
原作沼の罠を回避する方法:
「翻訳」としての映画化:映画化を異なる言語への「翻訳」と捉え、完全な一致を求めないようにする。
多様性の尊重:異なる解釈や表現を、作品世界の豊かさを示すものとして肯定的に捉える。
創造性の評価:原作とは異なる要素を、映画製作者の創造性の表れとして評価する姿勢を持つ。
これらの方法を意識的に実践することで、より柔軟な作品の楽しみ方が可能になるのではなかろうか。
✴︎まとめ:小説と映画、二つの世界を楽しむ
小説と映画の両方を楽しむためには、それぞれのメディアの特性を理解し、柔軟な姿勢で作品に向き合うことが重要である。原作至上主義の罠に陥ることなく、各メディアが提供する独自の体験を尊重し、楽しむことができれば最良だ。
✴︎編集後記
小説と映画は、同じ物語を異なる方法で語る芸術形態と言えます。それぞれの強みを活かした表現方法を理解し、鑑賞することで、作品世界をより多角的に楽しむことができます。時には原作と映画版の違いに戸惑うこともあるでしょうが、それこそが新たな発見や解釈の機会となるのです。
この記事で紹介した方法を参考に、ご自身の作品の楽しみ方を見つけ出せたら幸いです。小説と映画の世界がさらに豊かに、魅力的に広がっていくことことを祈っています。
✴︎参考にした本
今ならkindle unlimitedで無料です👇