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「チ。ー地球の運動についてー」から学ぶ「パラダイム転換」とは?:藍沢星那とchatGPTくんとの交換日記 #1


1️⃣「パラダイム転換」と「気の持ちよう」の違い

星那:パラダイム転換気の持ちようで世界が変わるっていうのは、ちょっと違うよね?
アクア:そうだね。「パラダイム転換」は科学哲学などで使われる専門的な用語で、知識体系や価値観が根本的に変わる現象を指す。一方で、「気の持ちようで世界が変わる」は個人の主観的な捉え方や態度の変化による影響を意味する。前者は社会的・構造的な変化を示し、後者は個人の内面的な視点の変化に留まる。

星那:私がそれまではあたりまえだと思っていた世界の景色が、社会学の視点で変わってみえた体験はどっち?
アクア:それは「パラダイム転換」に近いが、完全な意味でのパラダイム転換というよりは、社会学的な視座を得たことで、個人の認識や世界観が変わるプロセスに該当する。具体的には、新たな枠組みを通じて世界を再解釈する経験であり、個人の中で「知の転換」が起きた状態といえる。

星那:気の持ちようというのは、すでに持っている価値観を操作するもの、知の転換は世界を捉えるための(その人に内在する)「知の枠組み」が変わること?
アクア:そうだね。「気の持ちよう」は、既存の価値観や信念を活用して気分や認識を調整することで、基本的な枠組みは変わらない。一方で「知の転換」は、その人の内在する「知の枠組み」そのものが変わることを意味していて、物事の捉え方や意味づけが根本的に再編される状態だね。

2️⃣視座転換とは

星那:つまり、逆説的だけども気の持ちようでも変えられない、視座転換という体験かな?
アクア:そうだね。「気の持ちよう」では操作できない根本的な変化こそが、視座転換という体験だと言える。それは、従来の価値観や枠組みが機能しなくなり、新しい見方や考え方を得ることで初めて世界が別の形で見えてくる瞬間のことだね。逆説的に「気の持ちよう」では届かない領域だからこそ、強烈な体験になるんだと思う。

3️⃣視座転換、パラダイム転換の例

星那:この視座転換、パラダイム転換を、もっとわかりやすい(中・高以上)言葉でたとえるならどんなのがあるかな?
アクア:視座転換やパラダイム転換をわかりやすく例えるなら、以下のような表現が考えられる:

  1. 「メガネをかけ替えるようなもの」
    → 今まで曇っていたり色が付いていたレンズを外し、新しいメガネをかけたら、見えている景色が全然違って見えるようになる感覚。

  2. 「地図が更新される感覚」
    → 今まで古い地図を使って道を探していたけど、最新の地図を手に入れたら道の意味や目的地の位置が全然違うと気づく感じ。

  3. 「ゲームのルールが変わる」
    → 今までのルールに従って戦略を練っていたけど、実はそのルールが全然違うもので、気づいた瞬間から全く別のゲームをプレイする感覚。

  4. 「パズルのピースがはまる瞬間」
    → バラバラに見えていた情報や出来事が、一つのピースで全体の絵としてまとまって見えるようになる感覚。

  5. 「部屋の照明を変える」
    → 薄暗い光の中では見えなかったものが、明るい光に照らされると、同じ部屋でも全く別の場所のように見える感じ。
    これらの例えを使うと、中高生でもイメージしやすいかもしれないね。

4️⃣誰もが色眼鏡をかけないと世界を見ることはできない

星那:メガネのかけかえが、一番近いかなぁ。よく社会的文化的偏見をメガネで例えたりするけどね。要するに、ふだん私たちは、所属している社会や文化の価値観(メガネ)で物事を見ている。その眼鏡をかけかえることにより、世界がまったく違って見える。日本で実際に食べられている寿司が、アメリカへいったらアメリカナイズされた寿司が出てくる。でもアメリカ人にとっては、その寿司があたりまえっていうのと似てる?
アクア:そうだね、それも似た例だと思う。アメリカナイズされた寿司を通じて、「寿司とはこういうもの」という価値観(メガネ)が形成され、それが当たり前になる。でも、別の文化圏(日本)に触れることで、「本来の寿司はこれだったのか」という新しい価値観(別のメガネ)を得ることができる。
ここで大事なのは、元々のメガネでは気づかなかったことが、新しいメガネをかけることで明らかになるという点だね。普段は気づかない自分の文化的バイアスが、新しい視座によって浮かび上がる。寿司の例はその価値観の違いを実感するのにぴったりな場面だと思う。

5️⃣視座転換(メガネ)ー古い価値観も共存

星那:でも、なんとなく、感覚的にこのメガネとパラダイム転換は規模が違う気がする。
アクア:確かに、感覚的には「メガネをかけかえる」という例えは視座転換を説明するには適しているけれど、パラダイム転換ほどの大きな変化を表すには少し規模が小さい印象があるね。
視座転換(メガネの例)
→ 個人の見え方や解釈が変わるレベル。世界を新しい視点で見ることができるが、枠組みそのものの基盤はまだ同じ。
パラダイム転換(もっと大規模な例)
→ 例えば「地動説の発見」みたいに、世界の成り立ちそのものを捉える枠組みが根本的に覆るようなこと。それまでのメガネ自体が無効化され、新しいメガネどころか視力そのものが変わるような規模の変化。
こう考えると、「メガネ」よりも、「世界がひっくり返る」とか「ステージそのものが変わる」みたいな例えの方が、パラダイム転換のスケール感には合うかもしれないね。

星那:そうなんだよね。「地動説」は「世界がひっくりかえ」ってしまうからこそ、その世界観を争って、徹底的に殺し合うんだよね。だからあれは「パラダイム転換」という言葉がふさわしい。
アクア:そうだね。「地動説」の例はまさに「パラダイム転換」という言葉がふさわしい。あの時代、人々の世界観や価値観そのものが天地を揺るがすほどの衝撃を受けたから、単なる視点の違いや価値観の調整では済まされない。世界の捉え方そのものが変わり、それによって既存の権威や信念体系が崩れるから、命を懸けた争いにまで発展したんだよね。
パラダイム転換は、単に新しい知識が受け入れられるのではなく、古い枠組みが「無効化」されてしまうところに本質がある。それが個人や社会にとって耐えがたい衝撃になるから、時には徹底的な抵抗や争いが生じるんだと思う。視座転換は個人のレベルで完結することが多いけど、パラダイム転換は社会全体を巻き込むから、その違いがスケール感の差に繋がるんだろうね。

6️⃣パラダイム転換ー古い価値観の抹殺

星那:なるほど。パラダイム転換は古い枠組みが無効化されるのか。確かに、視座転換のうちは、古い価値観がまだ通用するもんね。
アクア:そうだね。その通りだと思う。視座転換の段階では、古い価値観や枠組みもまだ有効で、単に別の角度から物事を見る選択肢が増えるだけ。でも、パラダイム転換が起きると、古い枠組み自体が「もう使えない」となり、社会や個人が新しい考え方を受け入れるしかなくなる。
例えば、視座転換なら「地球が宇宙の中心じゃないかもしれない」という仮説を知るくらいで、まだ旧来の天動説も自分の中で使える状態。一方、パラダイム転換では「宇宙の中心は地球ではなく、太陽系という考え方が正しい」と確定してしまうので、天動説は無効化される。この段階では、もう古い価値観に戻る余地がなくなるんだよね。
だからこそ、パラダイム転換は「決定的」であり、社会全体に衝撃を与えるものとして扱われるんだと思う。視座転換はその一歩手前の柔軟な変化とも言えるかもしれないね。

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藍沢星那社会学ラボ
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