ひろゆき氏の行為はハラスメントか否か-日常知と学知の関係から解く①-
⬛︎日常知と学知
◆私たちは世界をどう理解しているのか?
私たちが日常生活を送る中で、物事をどのように理解し、どのように受け入れているのかには、「日常知」と「学知」という2つの異なる知識があります。
この記事では、その違いを探り、さらにその知識が社会にどのように作用しているのかを考えていきます。
⬛︎日常知とは?
日常知とは、私たちが日々の生活の中で自然に身につけている「常識」のようなものです。特に意識しなくても、当たり前のように受け入れている知識や行動が日常知に含まれます。
たとえば、「朝起きたら歯を磨く」「働くことは当然」といった考え方は、日常知の一部です。
シュッツという社会学者は、このような知識によって営まれる世界を「日常生活世界」と呼びました。この世界は、私たちが安心して日常を送るための基盤となっており、疑問を持たずに受け入れている常識がその中心にあります。
⬛︎学知とは?
一方、学知は、物事の背後にある仕組みや理論を分析し、体系的に理解しようとする知識です。学問的な視点から、普段は見えない複雑なメカニズムを解明するために使われます。
たとえば、ふだん私たちは「働くことは当然」と考えていますが、学知を通じて、その背後では「労働市場」という仕組みが働いており、需給バランスによって雇用機会が生まれることを理解することができます。
⬛︎学知は「良い/悪い」の判断をしない
ここまでが日常知と学知の基本的な説明ですが、学知について重要な点は、学知は「価値判断(良い/悪い)」を要求しないということです。
学知は事実や理論を説明するものであり、「こうすべきだ」と私たちに行動を指示するものではありません。
むしろ、学知をどのように解釈し、どのように行動するかは、私たち自身が判断し決めることです。アダム・スミスは「神の見えざる手」は「需要と供給とで価格が決まる」ということを論じましたが、その発見によって「市場は神の見えざる手で操作されるべきである」とはならないのです。
次に、この考え方を実際の社会の中でどのように応用するかについて、具体的な例を交えて深掘りしていきます。
たとえば、焼肉チェーン「牛角」の事例から、学知と日常知の関係を考えてみましょう。
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