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朝日杯将棋オープン戦名古屋対局 レポ③
こんにちは、相沢です。
なんとか形になりました。長くなりましたが、朝日杯レポ③、今回で終了です。
少しでも目に留めてくださった方、心からありがとうございます。
最後まで推しへの愛を叫んでいるだけですが、お読みいただければうれしいです。
最後までしつこく小説風でいきます。
(②に続き、記事の中に出てくる対局者の言葉は筆者の記憶をもとにしたものであり、正確なものではありません。)
第4章 準々決勝
前の対局が長引いたため、豊島菅井戦は15分おしで14時15分に開始するとのアナウンスがあった。
相沢は対局場である国際会議室前のロビーで、周りに他のお客さんがいないのをいいことに靴を脱いで包帯の巻かれた左足をソファーに上げてくつろいでいた。
プロの対局に感動しても腹は減る。しかし松葉杖での移動は極力したくない。本当はひつまぶしやら味噌煮込みうどんやら味噌カツやらを堪能するはずだったが、己の不注意で骨折したのだから仕方ない。持参したカロリーメイトを腹におさめながら、相沢の頭はふわふわしていた。
あんな近くで、ほんまに棋士が対局してたんやなあ……。
静かやったなあ、バチバチの真剣勝負やった……。
もう一局観られるんやてマジか……豊島さんと菅井さんの対局が……。
そんなことを考えるでもなく考える相沢に、ふと声がかけられた。
「あの、足、大丈夫ですか?」
少しずつ対局場に戻ってくるお客さんが増え、相沢もさすがに足をおろして行儀よくソファーに座っていた。隣のソファーにいた女性が立ち上がり、見かねて声をかけてくれたのだ。
「大変そうだと思って……よかったら向こうに自動販売機あったんで、お水とか買ってきましょうか?」
なんてことだ! こんな人がいるのか! いや女神か? きれいなお姉さんは仮の姿、その正体は女神なのか!
相沢は昭和生まれのいい大人である。だがもともと軽い放心状態なのと、思いがけない優しさをもらえた感激できちんとお礼を言えたのか、はっきりとした記憶がない。勝っても負けても相手の目を見て話す豊島さんとは人間力に天と地ほどの差がある。
松葉杖で不自由そうにしている人が気になっても、声をかけるのは勇気がいるだろう。逆の立場だったとして、自分に同じことができただろうか。
対局場でも、足を曲げられないので席の前を通る方の邪魔になってしまい「すみません」と頭を下げていたのだが、「大丈夫ですよ」「お気になさらず」と答えてくださる方々がいた。
将棋ファンの方はやさしく、この世界は美しい。
人様に迷惑をかけておいてこう言うのもなんだが、骨折をしたおかげで改めてそう気づけたことは、相沢にとってうれしい体験だった。
女神に会った相沢は、さらにふわふわする頭で「最後のほうに入ろう」と考え、14時5分頃に松葉杖でゆっくり対局場に戻った。『豊島将之九段が先手と決まりました』とのアナウンスが聞こえ、よし! と思いつつ顔を上げステージを見る。
なんと、そこにはすでに豊島さんと菅井さんの姿があった。
きゃー。
ステージ中央に設置された机と椅子。向かって左が後手の菅井さん、右が先手の豊島さん。両対局者は駒を並べ始めている。
そうか、「対局開始」が14時15分か! そらその前に出てきはるわ! 知ってたやんそんなこと!
相沢は推しの斜め後ろ姿を見つめながら後悔する。豊島将之の対局姿は世界一かっこいい。駒を並べる前の礼も、王将を取る前の礼も、駒を並べる所作もいちばん美しくかっこいい。それを生で見られる機会をふいにするとは。
しかし悔やんでいる暇はすでになかった。慌ててはいけないので、相沢は落ち着いて自分の席に着く。
静かだ。
相沢は深呼吸して、豊島さんを見つめる。きれいな後頭部が見える、やっぱり今日は寝癖がない。さっきは見えなかった背中側、くつ下はグレーで、靴が大きく見えた。
会場にはほぼお客さんが戻っている。そうとは思えないほどの静かさの中、14時15分、対局開始。
やはり盤面を映したスクリーンの駒の文字は見えない。だがぴよ将棋11級の相沢も初形は知っている。スマホは開かず、わからなくなるまでスクリーンで指し手を確認しながら観戦することにする。
とても静かだ。駒音が微かに聞こえる。
ほぼ後ろ姿しか見えないが、豊島さんのほうがあまり時間を使わず調子よく指しているように見えた。
こちらを向いている菅井さんの顔は見える。表情はなんとなくしかわからないが、真剣に盤をにらんでいるのはわかる。
豊島さんは基本的に左手のひら、親指の付け根辺りを腿に押しつけていた。ときどき足を交差しているのも見えた。
少しずつ、互いに時間を使うようになった。
相沢は棋力がないので根拠もないが、豊島さんが9筋の位を取られたり、1筋も歩をぶつけられたり、少し気になり始める。すぱんと飛車を成ったとき、生意気にも「大丈夫なのかな」と思った。交換した飛車をすぐに打った時もなんとなく不安を覚えた。
その辺りから盤面を把握できなくなり、相沢は仕方なく携帯中継を開く。評価値が目に飛び込んできた。豊島さんが32%だ。
え、と声を出しそうになるくらい、相沢は驚いた。まだそんなに形勢が開くような時間ではないと思っていたのだ。
調子よく指してるように見えたのに! なんで嫌な勘が当たるんだ! 棋力ないのに!
いや、でもまだ32%だ。ていうかこの数字はただの「AIが計算した勝率」で、指してるのは人間なのだとすぐに思い直す。
対局を観ている時の相沢は、自分でも不思議なほどに、推しが負ける気がしない。ないわけがないのだが「負けるという発想がない」という表現がしっくりくるほどだ。相手が将棋星人でも、評価値が1%になっても、解説の棋士が投了のタイミングしか話さなくなっても、推しが負けると思えない。豊島さんの雰囲気が負けを受け入れたものに変わったときに、初めて「負けるのかな」と思うのだ。
とはいえあんまり評価値を見たくなくなり、自力で盤面を把握しようとするが、すぐにわからなくなり見てしまう。
そのたびに、形勢が菅井さんに傾いていく。
豊島さんが長考する場面が増えていた。
腿に押し当てられていた左手は、気がつけば膝に乗っている。
豊島さんが1分将棋になった時、菅井さんはまだ15分は残していた。そこからの菅井さんの指し手は迷いがなく早く、自信のようなものが感じられた。
それでも評価値が0%になるまで、豊島さんの背中の雰囲気は変わらなかった。
駒台に右手を置き、豊島さんが静かに投了した。
見たくない光景だが、負けを認めたこのしぐさも、ため息が出るほど美しい。
菅井さんも深く礼を返す。持ち時間を残した勝利だった。早めの終局だった。
作戦負けか、完敗だったということだろうか。相沢は頭のどこかでそう思いながらステージの対局者を見つめる。豊島さんから切り出した様子で感想戦が始まったようだが、今度はスタッフさんが早めに声をかける。
お二人はもう一度互いに深く礼をし、大盤解説会場へ向かうために降壇された。
豊島さんの様子は普段と変わらないように見えた。
だが、ここで豊島さんの朝日杯は終わりである。勝てばベスト4、負ければ終了。将棋は必ずどちらかが勝ち、どちらかが負けるのだ。そして、負けた方が負けを認めなければ終わらない。なんて美しく残酷な物語なんだろう。相沢はこれまで何度もそう思ってきたが、いつも初めて気づいたような、思い知らされるような気持ちになる。
スクリーンに大盤解説会場の様子が映し出された。
準々決勝で敗退となった豊島さんだが、お客さんの前に立ち大盤を使って感想戦をする姿はとてもまっすぐで、堂々としていた。目には力があり、今の将棋を受け止め、淡々と言葉にしていた。いつものとよぴだ、と相沢は思った。
以下は、相沢が記憶している対局者の言葉である。
「また難しい将棋でした」(菅井さん)
「粘れない展開にしてしまいました。穴熊にする前に仕掛けられて、一方的になってしまった」(豊島さん)
「先手の銀が上がっていないので、こちらがいいんじゃないかと思っていました」(菅井さん)
「同香とした場面では、歩を打つ手もあったのかもしれません」(豊島さん)
「玉を9九に引いた手がどうだったのか……」(豊島さん)
大盤解説会場でだったか、対局場に戻ってきて行われたミニインタビューのときだったか記憶が曖昧だが、豊島さんは最後にこう言った。
「最後までご観戦いただきありがとうございました。また次の対局を頑張りたいと思います」
第5章 熱戦のあと
豊島さんと菅井さんのミニインタビューが終わり、この日の朝日杯将棋オープン戦名古屋対局は終了した。
松葉杖の相沢は、他のお客さんたちが退出されるのを待って、最後のほうに対局場を出た。
プロの対局をこんなに近くで観て、同じ場所で体感して、やはり頭はふわふわと現実感がない。だが相沢は松葉杖、左足には一切体重をかけられない怪我人だ。イベントが終了したからといって気は抜けない。家に帰るまでが公開対局である。
受付で出口までの最短ルートを確認する。来たときはタクシーを降りてからここまで20分かかった。気を引き締めて帰りの一歩を進めようとしたとき、すぐ前の扉から菅井さんと関係者らしき数名が出てきて、そのまま相沢の前を通っていった。
ステージよりも近かった距離に、相沢はしばしぽかんとする。
ちょっと待って、今そこで一緒にステージに立ってた菅井さんが出てきたってことはとよぴも出てくるのか?
もちろんそう考えたが、そうはならなかった。おそらく菅井さんはベスト4に進んだので、少し残って取材を受けていたのだろう。豊島さんは先に控室かどこかへ行っていると考えるのが自然かもしれない。
相沢は慎重に松葉杖を進める。
受付で教えられたとおりに進むと、大盤解説会場に行き着いた。来たときは別のルートからだったため、相沢は初めて「ここが大盤解説場か」と知った。
そして気づいた。扉の前に杉本昌隆八段がいる。ファンの方との写真撮影に応じているようだ。
杉本先生はとてもにこやかに対応されていた。午前にも対局会場に来られた時に姿をお見かけしたが、棋士のオーラがありかっこいい。
ファンの方を見送られた杉本先生が、松葉杖の相沢に気づき、なんと、やさしく微笑みながら会釈をしてくれた。
相沢は松葉杖であることが申し訳なく、杉本先生と目が合っているという事実に軽いパニックにもなり、頭を下げるので精いっぱいだった。
本当にパニックだったようで、この辺りの記憶は曖昧である。
憶えていることは、大盤解説会場にはもうお客さんは見えなかったこと、菅井さんが(また菅井さんに遭遇(?)してしまった!)大盤解説会場と通路を挟んだ向かいにあるパーテーションで仕切られたスペースの向こうに入っていくのが見え、「まさかここが棋士の控室か? この裏に豊島さんもいるのか? 今から菅井さんと感想戦なのか?」と思ったこと。
だがまさかパーテーションの向こうを覗くわけにもいかず、というより松葉杖ではその数歩を歩くのも辛いので、相沢は最短距離を目指しゆっくりと出入口へと進む。
いろんなことがありすぎて、そこからはとりあえず転ばないようにタクシー乗り場まで行くことに集中した。
20分ほどかけて辿り着いたタクシー乗り場には運よく客待ちのタクシーが1台いて、息も絶え絶えの相沢はすぐにシートに落ち着くことが出来た。
名残惜しさを振り切るように、運転手に「名古屋駅まで」と告げる。
名古屋国際会議場が遠ざかっていく。
まだ正常には戻っていない頭で、相沢は思う。来てよかった。プロの真剣勝負の場所にいられるという、素晴らしい体験ができて良かった。将棋を好きになって幸せだ。
そして、より強く思う。
将棋を好きなだけでもじゅうぶん楽しかっただろう。でも、豊島さんのファンにならなければ、きっと公開対局を観に行くなんてことはしなかった。ネットで対局を観るだけで満足し(それはそれですごく素敵な趣味だけど)、あの場所の静かさも迫力も棋士のオーラも知らない人生だった。
豊島将之がいたから、私はこんなにも素晴らしい体験ができたのだ。
私の人生に彩りをくれた豊島さんを、これからもずっと応援していきたい。相沢は何度も何度も、深くそう思うのだった。
最後まで読んでくださった方、少しでも目に留めてくださった方、本当にありがとうございます。
ただ推しへの愛を脈絡なく叫ぶ、だらだら長い文章ですみません。
筆者はわりと楽しく書いていたので、また何か書きたいことがあったら投稿したいと思っています。
そのときも目に留めていただけたら、こんなにうれしいことはありません。
これからも観る将、推し活を楽しみたいと思います。
ありがとうございました!
おまけ 推しとの遭遇2
令和4年1月15日。
朝日杯将棋オープン戦が行われたこの日、相沢は名古屋某所で豊島さんに遭遇している(え?!)。
いや「遭遇」より「お見かけした」のほうが正確かもしれない。目が合ったかとその時は思ったが、今思えばこちら側にある別のものを見ていらっしゃった説が有力だし、もちろんお話ししたわけでもない。豊島さんはこちらに気づいていなかったと思う。松葉杖の女が自分をガン見してたらさぞかし怖いだろうから(松葉杖は関係ない)、今となってはむしろ気づかないでいてくれていることを願う。
ただそれでも、推しは朝日杯のステージより近い距離にいた。豊島先生、と声をかければ、おそらくは聞こえたであろう距離に。
本当にたまたまだ。偶然が重なって豊島さんと相沢のタイミングが合ったのだ。
こんなことがあるのかと思った。骨折していなければ起こらなかった奇跡である。
時間にすると2、3分だろうか。短くはあったけれど、相沢にとってはとても長い一瞬だった。
ステージ上にいるわけでもない彼をじろじろ見てはいけない、といちおうの理性は働き視線を外したりもしたが、やはりじっと見てしまった。
豊島さんはずっと画面越しに見ていたままの豊島さんだった。うなずき方も、相手にきちんと視線を向けるところも、手を動かす仕草も。
そして、仕事中ではない彼は、穏やかで知的でやわらかく優しい雰囲気の、一人の青年だった。例えるなら「娘が連れてきた相手がこういう人ならご両親は安心するだろうなあ」という感じ。
ものすごい努力と才能と精神力の人だが、普通のさわやかなお兄さんだった。
名古屋から神戸に戻った翌週、膝を固定していた添え木(?)と包帯が取れた。しかしレントゲンにはまだヒビがしっかり写っており、3週間以上固定していた膝は曲げることができない。リハビリが始まり少しずつ回復している実感はあるが、まだ松葉杖を手放すことはできず、職場と病院にしか外出はできない。
怪我やご時世のことは置いても、人生は長くつらいものだ。生きていこうとすればただの日常にも様々な面倒や心の不調は訪れる。人はみんなそうだろうし、楽天家を自認する相沢にだってそういう時はある。
しかし、ふとした時に、あの日いちばん近くで見た豊島さんを思い出す。当たり前だが、厳しい勝負の世界で生きる豊島さんにも日常はある。
飾らない普通のお兄さんだった推しの横顔を思い出すと、あれから1ヶ月近くが経った今でも、相沢はどれだけしんどい時であろうとにこにこしてしまうのであった。