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レポ③豊島将之九段とタイトル戦擬似体験in山水館~新関西将棋会館建設クラウドファンディング~


 こんにちは、相沢です。
 ものすごく長くなっていますが、しかもまだ続きますが、飛ばしながらでも読んでいただければ嬉しいです。よろしくお願いします。



第三章 エレベーター前の妖精


 四組目、五組目のみなさんの体験を待つ間、一階の売店ではにたん最中などタイトル戦のおやつとして話題になったものを中心におみやげを買った(半分以上が自分のため)。
 ロビーには将棋雑誌などが置かれていたのだが、今日のために豊島先生の記事のページが開いた状態にされていた。さすが山水館様である。

 この待機時間だったかもっと後だったか前だったか忘れてしまったが、午後に行われるサイン会の順番を決めるくじ引きがあった。相沢が引いた番号は8。「7」に続いて「8」と、なんとなく縁起が良い。

 やがて全員が体験を終え、食堂に移動し昼食になる。
 実際にタイトル戦で提供されたメニューから、➀カツ煮定食②牛すじカレーと串カツ③雲海鍋御前、のどれにするか事前にメールしてある。相沢は迷わず雲海鍋御膳にしたが、ほとんどの参加者さんが同じだった。すき焼きの鍋に雲海のような綿あめが盛り上がっていて、これがお砂糖代わりになるそうだ。王将戦中継を見て「いいなあ美味しそうだなあ」と思っていたが、まさか自分が食べられる日が来るとは。
 山水館の方が「渡辺先生はお肉追加されてました」と教えてくれたが、通常の量でなかなかのボリュームである。とはいえ推しに会って胸もお腹もいっぱいのはずの相沢はきちんと味わって完食してしまった。もうなんだかよくわからないが、ごはんがおいしいのはいいことだ。

 食事を終え、参加者さんたちとお話ししながら一息ついて、相沢はお手洗いに行こうと席を立つ。その途中で、鮮やかな黄色が目に入った。豊島先生と関係者の方がエレベーターの前に立っていらっしゃったのである!

 思わず「あっ!」とか「きゃっ!」とか声を上げてしまい、豊島先生がこちらを振り向いた。相沢は「お疲れ様です!」と叫ぶと(叫んではいない)壁の向こうに隠れてしまう。思いがけず推しに会って叫んで隠れるとは何をしているんだ。変な人だと思われるではないか! いや私だってバレてないか?(私だってバレてないてなんやねん)
 そこでトイレから参加者のおひとりが出てこられたので、「豊島先生がそこにいらっしゃいます!」と巻き込んで一緒にこっそりと物陰からエレベーターを待つ豊島先生の後ろ姿を見つめる(何してんねん)。
 エレベーター待ってるだけなのになぜこんなに美しいのだろう……ほんまに妖精なんちゃうやろか……ていうか今ここにいらっしゃるということは、豊島先生もこの階の別の部屋で昼食をとられていたということか。隣の部屋とかか。召し上がったのは雲海鍋だろうか。同じ場所で同じものを食べてしまったのか!
 などと思ううちに先生はエレベーターに乗り、相沢は食堂に戻って「豊島先生がエレベーターに乗っていきました!」と騒ぐのであった(うるさくしてすみませんでした)。

 午後のイベントが開始されるまでは自由時間で、館内に展示されているたくさんの棋士のサインや王将戦のときの写真をじっくり見てまわった。すごい棋士の先生方がこの山水館を訪れているんだ……と、相沢はわくわくしてしまう。

 そうしている間にも、休憩時間は消費されていく。
 午後のイベント、サイン会の開始時刻が近づいている。


第四章 強い人は優しい


 最初の部屋へ戻ると、サイン会の準備が整っていた。正面奥に広い机が置かれ、それを囲むように参加者の人数分の椅子が並べられている(隣の椅子とは距離をとった状態で7席×2列)。ここで1人ずつ、全員に見守られながらサイン会が行われるのだ。
 席に座り、相沢はすぐそこにある机を眺める。硯に筆、墨汁、対局時計も見える。もうすぐそこに豊島先生が座られる。そして色紙に揮毫してくださるのだ。そんなの、本当だろうか(ほんとだよ)。

 揮毫文言は、事前にメールで希望してある。相沢の希望はすぐにOKとの返信が来たが、参加者さんたちとお話ししていると、希望したものが断られたという方や、絵を描いてもらえますかと質問して「文字だけです」と言われたという方もいた。絵という発想は相沢にはなかったが、確かにぺんぎん描いてほしい。
 マスクを外しての撮影中以外は会話もできるのだが、もちろん相沢は何のトークプランも持ち合わせていない。どうしようどうしようと思ううちに全員が揃い、豊島先生が入室される。

 和服では筆を扱いにくいのかもしれないから、もしかしたらスーツに着替えられていたりするのかなと少し思っていたが、午前と同じ麗しい和服姿だ。ていうか、あのタイミングでエレベーター前に和服姿でいらっしゃったのだから、和服のままお昼を召し上がったのだろう。となれば少なくともメニューはカレーではないか? いや豊島先生ならどんなお召し物でもカレーだってカレーうどんだっていける!(ちょっと何言ってるかわからない)

 ゆっくりと穏やかに上品に、豊島先生は用意された机に座った。
 番号順に一人ずつ先生の正面の椅子に座り、スタッフさんが希望文言がプリントされた紙を用意し、それを見て豊島先生が色紙に揮毫していく。お話ししたり色紙と一緒にツーショット写真を撮ったり、持ち時間5分の間は自由だ。

 8番目の相沢は、豊島先生が他の参加者さんとにこにことお話しされながら筆を取り墨汁をつぎ足し、ゆっくりと揮毫される様子を写真を撮りながら見ていた。
 参加者さんが声をかけると、豊島先生は筆を止めて答えている。丁寧で優しい雰囲気、繊細で美しい所作に見入ってしまい、自分の番になったら何を話そうかと考えることができない。他の参加者さんたちも、やはり緊張なのかあまり積極的にお話しされる方は少なかったように思う。
 そう、いつも画面に穴があくほど見つめてきた推しが同じ空間にいるなんて、どうしたら信じられるというんだ!

 そしていよいよ、相沢の番になる。
 スタッフさんに名前を呼ばれ、豊島先生の前に歩み出て椅子に座る。きゃーこっち見てる! どうしようどうしようよろしくお願いします!(よろしくお願いします、とお互いに礼をし合ったとは思うけど、よく覚えていない)

 他の参加者さんたちの希望した文言は、豊島先生が以前扇子や色紙に揮毫されていたものや将棋用語、無知な相沢は知らない難しそうな四字熟語などなどだった。「あ間違ったすいませんもう1枚」ということがなくすらすらと書いていらっしゃるので、すごいなあと感心した。参加者にとっては貴重な5分だから、やはり豊島先生のお気遣いなんだろう。すらすらの中にも丁寧さが感じられて、やっぱり一流棋士は盤外の所作と気遣いも一流なのだと思う。将棋強いだけでトップになれるわけないし、こんなにたくさんのファンがいるわけもない。

 スタッフさんが用意した紙を見て、豊島先生が筆を取り墨をつける。
 今さら変えることはできないしできたとしても代わる言葉は思いつかないが、我に返るとちょっと恥ずかしくなる。なんと相沢は、自分の名前を書いてもらうという暴挙に出たのである。

 揮毫文言を希望できると知ったとき、相沢は「私の書いて欲しい言葉じゃなくて豊島先生が大切にしている言葉がいい」と思った。
 だが「事前にメールしてください」とされているものに「豊島先生にお任せします」などとめんどくさい返信はできないし、何よりすぐに「自分の描いて欲しい文字を書いてもらえる」という現実の貴重さにも思い至った。豊島先生が私だけのために「なんでも好きな文字書いたるで」と言っているのだ(ちがう)!
 自分が前向きになれる言葉、いつも胸に置き元気になれる言葉がいい。まっさきに思いついたのは「金」だった。駒の名前だし悪くはないのかもしれないがもちろん相沢が思ったのは「カネ」である(おまえってやつは……!)。すぐに却下した。
「世界平和」「泰然自若」「勇気」「金運」「腹八分」などなど決してふざけているわけではないのだがいろんな言葉が浮かび頭を巡り消え、結局は自分だって自分なりに頑張ってもいいのだと、背中を押してもらいたいという思いが残った。そこでふと思いついたのが自分の名前だ。
 相沢の本名(下の名前)は漢字一文字である。実際に棋士の先生が扇子にこの文字を揮毫されているのも見たことがあるし、揮毫文言としてそれほど不自然ではないと思った。
 きっと相沢は、自分という人間を豊島先生に肯定してもらいたいのだろう。
 もちろん豊島先生は相沢を知らないし、肯定も否定もなくただその文字を書くだけ。だけど豊島先生の書いてくれたその文字を見て、少なくとも自分は自分を認めて生きていけると思った。
 ……と長々と言い訳したところで、相沢の分際でトップ棋士に自分の名前を書かせるなど暴挙であることに変わりはない。

 豊島先生の動かす筆が、相沢の名前の形に動く。うまく何かを思ったり考えたりできる状態ではなかったが、思い切って声を出す。

「あの、それ、私の名前なんです」(←よくもぬけぬけと!)

 豊島先生は手を止め、にこにこと答えてくれる。

「ああ、そうなんですね」

 さすがにちょっと、何を書かせているんだと申し訳なくなる。

「自分の名前書いてくださいなんて言う方いますか?」(←何聞いとるねん!)
「まあ、たまには……(にこにこ)」

 前にも頼まれたことがあるのか良かった……いやもしかしたら「そんなん頼まれたの初めてです」と言うわけにもいかず気を遣ってくださったのか? だったらどうしよう変な奴だと思われるのはもう仕方ないにしても(仕方ないのか……)変な気を遣わせてしまったのならどうしようなどと思いながらも豊島先生が筆を進める様子を写真に収める(撮るんかい!)。

 この時間に何かお話を……とも思うが、思いつくのは「すごく字が綺麗ですけど書道習われてたんですか?」ということくらいで、それは別の参加者さんがすでに質問されていたし(記憶がおぼろげだが「小さい頃に少しだけ」というお答えだったと思う)、もう何を言ったらいいのかわからず先生の筆を見つめる。文字の大きさとかバランスとか、考えながら書いてらっしゃるように見えた。

 色紙の中央に一文字が書かれ、左側に『九段 豊島将之』と揮毫すると、豊島先生は色紙をこちらに見えるように持ち上げようとした。そこでスタッフさんが声をかける。名前の下に押す判子(落款印というのだろうか?)を押し忘れられていたのだ。特に慌てる様子もなく「ああ」という感じでスマートに色紙を置き直しぐいぐいと「豊島将之」の印を押してくれる。世界に一枚の、相沢のためのサイン色紙の完成である!

 そのまま色紙を胸の前で掲げてくれた豊島先生を何枚かと、窓の前で外の景色を背景に色紙を持った先生とツーショットで何枚かの写真を撮らせていただく。豊島先生はずっとにこにこと微笑んでいてくれた。
 相沢は「ありがとうございますこれで頑張れます」というようなことをなんとか言えたと思う(なんと言ったかはよく覚えていない……)。

 色紙はそこでは受け取らず、乾かすためにいったん端の机に並べられていた。
 席に戻った相沢はしばし放心したあと、席を立つ。豊島先生をずっと見ていたいけど、隣の部屋で公開されている先生の信玄袋の中身も見たい。でもやっぱりずっとここにいて先生の姿を見ていようか……と結構本気で悩んだが、やはりこんなチャンス二度とないからと、隣の部屋に向かう。

 じっくり見て写真に撮って、サイン会場に戻る(「私物なのでアップ禁止」と事前に説明がありましたが、何が公開されていたのかは書いてもいいとは思うけど、念のためやめときます)。
 豊島先生と目を合わせてたくさん会話をされている参加者さんもいて、すごいなあ、ていうか自分だって大人なのになんでちゃんと喋れないんだろうなあ、まあ仕方ないよなあと思うでもなく思いつつ、他の方へ向けられる笑顔のおこぼれをいただく。
 私物を公開するのに抵抗とかありませんでしたか? という質問をされた方がいて、豊島先生は「サイン会中、待っている方々の間が持たないからとスタッフさんにお願いされた」らしく(この答えで場内ちょっと笑いが起こる)、「まあ特に問題ないです」というようなことを答えられていた。かわいい。

 そして、すばらしいシャッターチャンスが訪れる。
 豊島先生が「きゅんです」ポーズのリクエストにお応えになったのである!(リクエストしてくれた参加者さん(美人!)には毎年お中元とお歳暮を贈りたい!)
 しかも指ハートの作り方を知らない豊島先生が参加者さんに教えを乞い、しばらくレクチャーされるという区民悶絶もんのシーンであった!

 参加者さん「そんな感じです」
 豊島先生 「そんな感じっていうことは……(できてはいないってことですよね?)」

 完璧にリクエストに応えようとする豊島先生に感動するし、ちょっと恥ずかしそうにポーズをとるお姿に相沢はきゅん死寸前である。かわいい。
 このとき、豊島先生は撮影のためにマスクを外されていたのだが、教えてもらうために会話しそうになると、さっとマスクをつけ直されていた。きゅん様のきゅんポーズに悶えながら、そのお気遣いにも相沢は感心させられた。強い人は優しいのだ。

 そして、全員分のサインが終了した。
 一枚も書き損じはなかった。普通のことのようにさらりとされてしまったが、すごいことだと思う。
 その後の流れの記憶があまりないけれど、確か先に豊島先生が退室され、参加者たちは少し休憩時間を挟んで、別の部屋(同じ階だったか他の階だったか覚えていない……)に移動したと思う。
 そこでは机が長方形に並んでいた。お誕生日席にあたるところが豊島先生の席、周りに参加者たちが座り、イベントの最後である質問コーナーが行われるのだ。

 そしてそれが、このイベントの最後となる。
 すでに胸がいっぱいだが、相沢はどきどきわくわくしながら、席について豊島先生を待つ。


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