「つい人を見下してしまう…」をやめたいときは
「〇〇ちゃんより、わたしのほうが勉強ができる」
小学校のころのわたしは、よくこう思っていました。
大人になった今考えると、
それはなんて小さなプライドだったのだろうと思います。
でも、当時のわたしにとっては、
そのプライドだけが頼りでした。
わたしは、兄と妹に挟まれた真ん中っ子。
親の関心を引きたくて、どこかで
「わたしのことも見て!」
と叫び続けていたのかもしれません。
そんなわたしは、成長するにつれて、
自分が時折、
人を見下すような感情を抱くたびに、
ひどく自分を責めるようになりました。
他人と比べて、
自分が少しすぐれていると感じることに小さな安堵を覚え、
でもその後すぐに、
そんな自分が嫌でたまらなくなる。
まるで終わらないループにはまったような......
でも最近になって、
脳科学についての本を読むようになり、
この感情が
実はわたしの性格だけの問題ではないと知りました。
この「見下し」は、
脳のしくみのせいだったのです。
見下す感情は脳の防衛反応
人を見下す気持ちがわいてくるのは、
わたしたちの脳が
自分を守ろうとするからだと言われています。
脳は、
自分の価値を感じることで
安心を得るしくみを持っています。
たとえば、
社会的な場面で他人と自分を比較し、
自分のほうが少しでも優位だと思えたとき、
脳内でドーパミンという物質が分泌されるのです。
このドーパミンは、
わたしたちに快感や達成感をもたらします。
そのため、脳は無意識のうちに
「他人と比べて自分のほうがいい」
と思える瞬間を探し始めます。
それが、
見下すという行動につながるのです。
でも、ここで大切なのは、
この感情が
わたしたちが
弱い人間だからわいてくるのではないということ。
むしろ、
脳が健全に働いている証拠とも言えます。
脳のしくみなんだと思うと、
少し安心できませんか?
自分を責める感情も脳の仕業
見下す感情の次に訪れるのは、
たいてい自己嫌悪です。
「どうしてわたしは
あんなふうに思ってしまうのだろう?」
この自己嫌悪も、
実は脳のしくみの一部。
内側前頭前野(ないそくぜんとうぜんや)という部位が働きすぎると、
自分に対して
否定的な感情が生まれやすくなるのです。
この部位は、
脳の前の方、額の奥に位置し、
自己評価や自己批判を司る場所。
わたしたちが自分を責めるとき、
この部位が
過剰に働いています。
見下しと自己嫌悪という波が
次々と押し寄せてくるとき、
それはまるで自分の中の嵐のよう。
でも、わたしたちは
その波を止めることができないのでしょうか?
脳のクセを手放す方法
幸い、
人を見下すクセや自己嫌悪は、
少しずつ手放していくことができます。
脳は柔軟性を持っており、
習慣を変えることで
新しい回路を作り出せるからです。
ここでは、いくつかの方法をご紹介します。
感謝のリストをつくる
日々の生活の中で
感謝できることを見つけてリストにするだけで、
脳の意識が少しずつ変わります。
「他人と比べて自分が上か下か?」
を考えるのではなく、
「今、自分に与えられているもの」に
目を向ける習慣が身につきます。
マインドフルネスを実践する
感情に気づき、
それをただ観察する練習をしてみましょう。
見下す感情や自己嫌悪がわいてきても、
「ああ、またこの感情が出てきたな」
と気づくだけで大丈夫です。
ジャッジしようとせず、
感情が自然に消えていくのを待ちます。
他人の物語にふれる
映画や本など、
他の人の人生に共感できるような物語にふれることも効果的です。
さまざまな人の背景や感情を理解することで、
自分の見方が広がり、
見下す感情が薄れていきます。
見下してしまったときのひとりごと
見下す感情がわいてきたとき、
その感情に巻き込まれないために、
たとえば、
次のひとりごとを唱えてみてください。
「わたしは人と比べなくても価値がある」
「人のよさを見つけることで、
わたし自身も成長できる」「この感情は通りすぎるものだ」
これらの言葉を心の中で繰り返すことで、
見下す感情にとらわれず、
おだやかな気持ちに切り替える助けになります。
それでもいい、と受け入れる
それでも、
感情は時折わいてきます。
それは人間だからです。
見下してしまう自分、
責めてしまう自分、それでもいいのです。
わたしはある日、
ふと思いました。
真ん中っ子として
必死に親に認められようと
がんばってきたわたしがいるのも、
脳がわたしを守ろうとしてくれた結果なのだと。
そう考えると、
自分のことが
以前より少し愛おしく感じられました。
感情を責めるのではなく、
その感情の裏にある
「わたしを守ろうとする力」に気づいてみる。
それが、
心の波に飲み込まれないコツかもしれません。
人は弱いからこそ、やさしくなれる。
自分自身にそう語りかけながら
生きていきたいと思います。