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【十種神宝修行日誌(21)】ブルース・リーか、考える葦か?
アヲイロカナリヤ(略アヲカナ)の修行日誌です。
初めて開いてくださった方、ご縁に感謝します。
いつもご覧くださるみなさま、本当に感謝しております。
この記録がどなたかのお役に立ちますように。
はじめに、言霊の発信システムとみなさまの祈りの力をお借りして試みたアトピーの自己治療の経過報告です。
本日で4日目ですが、手は痒みがウソのようになくなっており、現在は肌の修復を待っている状態です。
ほか、目の痒みは少し出ることがありますが、それまでほど強い痒みは出ていません。
痒みが出たときには、鎮魂と同じように、中腑(丹田)に意識を集めるようにするとスッと痒みが止まっています。
年が明けるころには完治していると思います。
ちなみに、エンペラーコードの大野先生は、
「言霊で願いを出したら忘れてしまうくらいがよい」と仰っています。
「(願いが)実現した」という構文で発信しますので、(祈りも)何度も送れば「まだ実現してない」と言っていることになる、という理論です。
お祈りももう十分にお送りいただきましたし、
言霊ももう発信していませんが、感謝は、何度送ってもよいと思います。
毎晩、手袋を脱いで手を見るたびにみなさまに、
心中よりお送りしております
<この連載は>
やまとの地で密かに守られてきた「言霊(げんれい)」の奥義を使い、弥勒の世の岩戸を開く踊り子の一人となるべく、その習得のための修行の記録や氣づきをつづっております。
☆ 『十種神宝(とくさのかんだから)』は、白川伯王家が守り伝え、1046年から明治までの約800年にわたり天皇に伝えてきたという、宇宙創造・現実創造の原理、言霊の究極奥義。
『エンペラーコード』はこれを現在一般向けの講座で伝えている白川学館監修の講座の名称です。なぜそんなものをいま一般に教えているのか、についてはこちら👇からご参照ください。
👇 前回までのお話は、こちらのマガジンにてご参照いただけます。
👇 資料集です
【32日目の修行日誌】
手洗いの洗濯をなるべく「無」でやるように試みました。
結果から言いますと、集中するより「無」でやることは難しかったです。
これはわたしなりの修行で、日常の作業を、
いま、やっていることに集中する、あるいは無心でやるようにします。
この工程が瞑想(鎮魂)の練習になると思い、毎日なんらか一つは行うようにしています。
修行を始める以前は家事をするのに、
「後で見る」などに入れた動画をイヤホンでチェックしながらしておりました。
元来一つのことに集中するのは得意な方で、どちらかといえば同時に複数の作業をすることが苦手なタイプです。
それでも慣れた作業ですと「ながら」ができる程度ですので、やはり頭が暇になると、あれこれほかごとを考えてしまいます。
それに氣づいたら考えるのを止めるのですが、作業に関係する考え事はなかなか止みませんでした(笑)
他ごとを考えるのを止めるのは比較的簡単ですが、例えば洗濯物の部分洗いをしているとき、
「なんの汚れだろう」とか、
「あれを使った方が良く落ちるだろうか」とか、
作業に紐づいた考え事を止めるのは難しいものですね。
エンペラーコード講座では、
「鎮魂は、その時だけすれば良いというものではなく、日常的に鎮魂できている方がよい」
とされています。
(エンペラーの場合のみで、個人の場合はその限りではないのかもしれません。質問の機会があれば大野先生にお尋ねしてみたいです。)
「人は考える葦である」と云われます。
考えることで工夫を生み、改善するという人の道も楽しみであったわけで、
それはやめなくてもいいのかな、と思ったりしていますが、
マインドフルネスや中今の思想でも、
ブルース・リーも、
「あれこれ考えず、いま感じることを感じよ」と言っています。
でも、考えることを一切やめてしまったら、それは思考停止?、ほかの動物と同じ?、と、あれこれ考えてしまいます。
考える仕事をどんどんコンピュータが代わりにやってくれるようになっていますが、なにも考えずに生きていくにはまだ時は熟していないと思うので、やはり、元氣なときは頭をぐるぐる回して、縄文の遺伝子とスサノオの遺伝子のハイブリットな脳力を楽しみたいとも思っています。
もっとも、考えることは楽しくてやめられないと思いますが。
●瞑想
本日も、「とほかみえみため」の三種祓、身禊祓、大祓、一二三祓を奏上してから鎮魂(瞑想)しました。
鎮魂は15分。夕食の支度の時間で切り上げました。
鎮魂は心地よいので、いつももっとしたいと思ってしまいますが、
「わたし」を上から指揮してくれる「わたし」の存在がちょっと幅を利かせてくれるようになってきました。鎮魂効果かも?
本日はここまでにさせていただきます。
お読みくださりありがとうございました。
みなさまにも、とほかみえみため!
【ご質問受付のお知らせ】
コメント欄にてご質問を受け付けております。
なお大変恐縮ですが、一般の方より言語処理に時間を要する脳のため、
わたしの十種神宝の修行に関することで、お答えできる準備のできたご質問から翌日以降の本文の中でお答えしていきたいと思います。
大野先生の師匠の七沢賢治先生は、こう教えてくださっていたそうです。
日常の中、相手との間の中に修行がある
(大野先生のお言葉のわたしの意訳です。)
わたしもそれに習い、修行の一環としてチャレンジしたいと思います。
なにか氣になることがございましたら、コメントにてご質問いただければ幸いです。ドキドキしながらお待ちしております。