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【十種神宝修行日誌(6)】参照情報まとめ、中今は中々
毎回の方、はじめましての方、開いてくださりありがとうございます。
アヲイロカナリヤ(略アヲカナ)と申します。
<この連載は>
『十種神宝(エンペラーコード)』使いのみなさまと同じ志をもって弥勒の世の岩戸を開く踊り子の一人となるべく、その修行の記録や氣づきをつづっております。
一片の「言霊」でも、お読みくださいました方にお役立ていただけましたら、この上なく幸いです。
(注)この連載での引用枠は、個別の表記のない限り、引用元、出典はすべて「エンペラーコード」(白川学館監修講座 大野靖志講師)となっております。
👇 前回までのお話は、こちらのマガジンにてご参照いただけます。
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●新しいお知らせ
👇「十種神宝(エンペラーコード)」に関する参照情報をまとめました。
こちらは随時情報を追加していきます。
【17日目の修行日誌】
●瞑想
今日の「祓い」の作法のあとは、思い返すと、なんとなく宙を漂っている感じでした。ただ、それを特に意識することなく瞑想に入ると、意識を丹田に鎮める「鎮魂」状態では「想念」も何も出てこない時間が10分ほど続きました。「無」と言えば「無」です。
しかしそのあと、氣づくと瞼が閉じ*、頭が揺れました。
*十種神宝の瞑想では、瞼は閉じずに半眼で、目の前1メートルほど先に置いた黒曜石ないし描いた黒い丸から目線を動かさずに行うよう指導されています。目を閉じると眼球が動き、すると思考が動くからとされています。このことは別の研究でも明らかになっており、確かにそうだと思います。
お腹いっぱい食べた後ということもあり、眠かったようです(笑)
長くやればいいというものではないとも指導されていますので、数回、瞼が閉じた後切り上げました。白川学館の修行で通常行っている目安時間の「29分までやろう」などと粘ったらもう瞑想の目的から外れてしまうためです。
●その他の修行
今日は食事で行ないました。
食べ始めは集中できているのですが、感覚に飽きがくると、「思考」があちらこちらからやってきました。
◯雑念が湧いたら
それに氣づいたら、また「食べること」に集中する、という要領です。「あ、考えてたな」と思うだけで、そのことについて自分を批判したり後悔したりはしません。
ただ、氣づいたら次の瞬間には食べることに戻る。
それだけです。
禅(だったでしょうか)でも、「中今(なかいま)にいる」とも表現します。十種神宝で指導される瞑想でも同じです。
このとき湧いてきた思考は、昨日書いていたような「氣づき」のような「啓示」のようなものとは明らかに違います。
たとえば、「このことは書いておきたいな」とか「このカボチャはいくらだったかな」とか、そのようなことを考えていました。
●「ながら」でも自分を「指揮」できる
チェックしたい動画がたまっていましたので、食事以外の時間は「ながら」になりました。
それでも、修行を始める前よりは、メリハリをつけ、自分で自分を指揮*してできた感があります。
そうすると、「時間に追われる感」がないのに氣づきました。
これまで長年、日常的に「モノゴト」に支配されていたことが分かります。
むむ。。これは…!
昨年、全集中の「行」をしていたころの、家事をちゃんとスケジューリングしてやる、というのと似ている。。(当時記事にしていました)
つまり、
せっかく「行」をやっててもやめたら戻ってた、ということで(^^;)
とほほ…
でも今回の方がうまく身に付きそうな感じがしています。此度こそ!
本日はこれで時間切れになりました。
お読みくださりありがとうございました。
とほかみえみため!
【ご質問受付のお知らせ】
コメント欄にてご質問を受け付けております。
なお大変恐縮ですが、一般の方より言語処理に時間を要する脳のため、
わたしの十種神宝の修行に関することで、お答えできる準備のできたご質問から翌日以降の本文の中でお答えしていきたいと思います。
大野先生の師匠の七沢賢治先生は、こう教えてくださっていたそうです。
日常の中、相手との間の中に修行がある
(大野先生のお言葉のわたしの意訳です。)
わたしもそれに習い、修行の一環としてチャレンジしたいと思います。
なにか氣になることがございましたら、コメントにてご質問いただければ幸いです。ドキドキしながらお待ちしております。