自由の話
今日は自由について。
多くの人が口にする「早く自由になりたい」という言葉。
「自由」とは何か。
私が考える「自由」とは、
やりたい時に、やりたい事を、やりたいだけ、やりたい人と
できる状態のことだと思う。
ではこの「やりたい時、事、だけ、人」ができるには何が必要か。
それは、知識を得るための「人脈と情報」と、得た知識を実行に移すための「時間と金」である。
それぞれの「やりたい」には、時は時間、事は情報(経験)、だけはお金、人は人脈(仲間)が必要である。
よく耳にするやりたい事が見つからないは、情報(経験)が圧倒的に足りていないだけ。人は自分の知っている情報や経験でしか選択ができない。海を知らない人がダイビングに行こうと思わないように。
しかし、やりたい事を見つけたとしても、それを実行するための資金と時間がなければ所詮は絵空事。また、やりたい事を見つけ、十分な資金と時間があったとしても、その充実した時間を共有する家族や仲間がいなければ何かもの足りないだろう。
「自由」とはこの4つの車輪が揃って初めて動き出すものなのである。
では、多くの人が口にする「早く自由になりたい」とは前述した意味での自由だろうか?
私はNoだと考える。多くの人は「現状から解放されること」を自由だと勘違いしている。現状からの解放とは、即ち現在地の否定につながり、今の仕事や属するコミュニティに何か不満を抱いているということ。情報社会になり、これだけ選択肢が溢れる現代で、その現在地を自身が選択したのにも関わらず不満が生まれる。注意したいのは、このような人はたとえ仕事やコミュニティを変えたとしても、またすぐに不満が生まれるということ。
答えはシンプルで、スキルがないからに尽きる。資本主義社会は格差社会のため、資本やスキルのある人材から選択権が与えられる。資本もスキルもない弱者は強者の残飯の中から取捨選択しなければならないため、選択できる幅が限りなく狭い。
やりたいことが見つからないのは前述したように情報(経験)の不足、即ちスキルがない、できることが少ないということに直結する。このあたりはWILL CAN MUSTで解説するが、それはまた後日。
問題なのは、弱者たちは自分が弱者であるという自覚がないということ。情報(スキル)と人脈不足が故に、削られた選択肢の中で自分が選択していることに気がつかず、自分で自由に意思決定をしていると思い込んでいる。削られた選択肢、つまり売れ残りを選択するため、例えば良い仕事や良いパートナーに巡り合える確率はスキルのある強者よりも圧倒的に低いことは理解ができるだろう。
良い仕事(人によって定義は違うが)に就けないために不満が生まれる。たとえ転職をしたとしても、その転職先は強者に選択された後の売れ残りであるため良い仕事であるはずはなく、また不満が生まれるというループに入ってしまう。そして徐々に感覚が麻痺し、我慢することを覚える。たった1回の人生なのにも関わらず、我慢をする。
このループから抜け出すためにはまずは情報を蓄え、スキルをつけ、自分よりも上の立ち位置にいる人との人脈を形成すべき。
やりたい時に、やりたい事を、やりたいだけ、やりたい人とできる状態のことを「自由」と定義するなら、情報・人脈・時間・金の4つの車輪が必要だ。
私もまだまだ道半ば。むしろ始まってすらいない。まずは情報と人脈の形成を行うことから動き出そう。
まとめると、一般的なゴルフボールのくぼみ(ディンプル)の数は336個らしい。