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悲しい感情も小説においてはスパイス

ここ最近、不幸な要素は見当たらないのに、心にモヤがかかったように気持ちが晴れなかった。

それは天気のようにコントロール不可能で、まるで季節外れの梅雨が私の心にやってきたような感覚だった。

心を晴れにする術を探し続けている

私は小さい頃から気分にムラがある。"楽しい"、"嬉しい"と思っていた数時間後には、絶望に打ちひしがれていることは少なくない。

そのことを自覚しているので、気の置けない友人と会話をしたり、視野を広げるために旅に出たり、気分を変えるために髪型や服装を変えたり、日々工夫しながら、なるべく前向きでいるための努力をしている。

そんな風に前向きでいることを心がけてはいるが、悲しみや寂しさが募ると「今日はもう無理...」と、ダムが決壊してしまう日もある。

一緒にずぶ濡れになってくれた友人

悲しみに飲み込まれそうになっている時、いきなり「そんなこと言わないでさ、前を向こうよ」と言われたらどうだろう。

悲しくて暗い気持ちにいきなり舞台照明のような明るさを当てられたら、余計によろめいてしまうのではないか。

私はこの数年で"心のダムの決壊"を何回か経験したが、相談した友人たちは、一緒にずぶ濡れになることを厭わず、私よりも真剣に怒ったり、悲しんだりしてくれた。そのことにどれだけ救われただろう。

根っからの明るさを持つ人を羨ましく、尊敬する一方で、自らの光を当てることで無かったことにされている闇がないか、私は目を凝らしたい。

大切な人が悲しんでいる時は、その闇を見過ごさずに、そっと寄り添い、つらさを分かち合って夜が明けるのを待ちたいと思う。

もしも小説にするならば...

最近知り合った編集者の方に、ここ数年の間に身の回りで起きたドタバタ劇を話す機会があった。

そしたら、「小説にしたら面白いですね!」と言われた。

どうやら起伏がない人生は、編集者的には料理しがいがないらしい。

私の人生は起伏がありすぎて、常に息切れしている感覚だが、そうやって大好きな小説のように読み応えのある物語を生きているのだと思えば、この生きづらい人生も少しは楽しめるかもしれない。

前を向く努力は惜しまないが、どんな悩みも悲しみも心置きなく話してもらえる。そんな経営者であり、友人でありたい。

わかるぅぅぅ!

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