『日本人の自覚するより深い傷』 第6話【日本国憲法は誰が作ったのか】
【日本国憲法は誰が作ったのか】
1947年5月3日に施行された日本国憲法の最大の特徴は、1条の象徴天皇制と9条の戦争放棄です。
この二つの条項は不可分の一対として生まれました。
最高司令官はマッカーサー・ノートと呼ばれる改憲の原則として、「①天皇制の維持と象徴化」「②戦争永久放棄」「③封建制の廃止」の3項目を示しました。
GHQはこれに沿って改正案づくりに着手し、GHQ案を示された日本政府内には、当初、天皇が「象徴」となることへの強い抵抗勢力がありました。
しかし、これはマッカーサーが天皇不起訴を他連合国や世論に納得させるために考えた最低条件であり、日本政府は象徴天皇制と戦争放棄は拒否できないとみて、GHQ案の受け入れを決めました。
改めて日本国憲法前文を読むと非常に違和感があり、日本語として理解に苦慮します。文法的にも語彙選択にも誤りがあり、まるで英文の直訳のような様態で意味を成していないのです。
この抽象的な法文に、ほとんどの日本人は違和感を感じるのではないでしょうか。
これは、日本国憲法がアメリカ合衆国憲法前文、テヘラン宣言、大西洋憲章、リンカーンの演説や米国独立宣言などをコピーして作成された何よりの証拠です。
その引用先の研究も行われ、現在では証拠も開示されています。
「日本国憲法は、日本政府が作成し、戦争の反省を嘆き、それが国民の総意である」と断言しているかのように偽装されているのです。
日本国憲法前文
『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』
上記の日本国憲法前文が読みにくく、何が言いたいのかわからないのは、法律だから、文体が古いからではありません。当時の日本でも、もっと日本の独自文化から発されるはずの自然な単語や言い回しがあったはずです。
日本人は違和感を口にせず、懸命に解釈し、歌にまでして覚え、暗記し、国民に教育してきました。
なぜこれを「GHQが作った法律だ。米国文からの引用集合文であり、米国語の直訳だ。」と声を上げる法学者がおらず、日本政府は誤訳を修正しないのか。
日本政府が認めないのは、不名誉だと思っているからでしょうか。
日本国憲法前文に「日本人の言葉」が入っていないのは事実であり、当時の日本政府は国民を人質に取られた操り人形だったのだから、仕方がなかったのです。
この日本国憲法の存在、内容や価値を否定しているわけではなく、きちんと事実を認めて公表し、改めて日本人の言葉で修正することで、はじめて日本文化と民意が反映された法律になるのではないでしょうか。
1945年8月27日から連合国軍の日本進駐が開始し、実質上、アメリカは日本を占領しました。
連合国軍占領下の日本は外交関係を一切遼断され、日本と外国との間の人・物資・資本等の移動はSCAPの許可によってのみ行われ、天皇並びに日本国政府の統治権はGHQの最高司令官の支配下におかれました。
当然、占領に要する経費は日本政府が負担し、戦後日本の国家予算を圧迫しました。
それなのに日本人はアメリカ人に憧れをいだき、欧米化し、意見もせず、未だに顔色をうかがっているのです。
大柄で青い目をした兵隊さんにキャンディをもらったからでしょうか。
ギブミーチョコレートは優しさなんかじゃありません。人間をグルーミングし、ペット化しただけです。
飢餓状態の日本人孤児にとっては、食べられるなら何でも美味しく、感謝して受取っていたことでしょう。
戦勝国軍兵士としての優越感を得るために与えられた、世界一まずいと言われるD-Rationの廃棄場所は日本人孤児の口の中でした。
軍隊は戦場用の調理不要な野戦食、コンバットレーションと呼ばれる非常食を持ちますが、当時米陸軍が採用していた配給品は非常にまずくて、ほとんどの米兵はタバコだけを抜き取り、粉末ジュースなどは食器洗い用洗剤として使い、あとは捨てていたと言われています。
ガムやチョコレートは、捨てるぐらいならと日本の子供たちに与えました。
ビスケット、肉の缶詰などの詰め合わせも入っており、捕虜となって与えられた日本兵やドイツ兵は食べられることに感動すらしたそうです。
D-Rationは1億個以上作られ、その膨大な過剰在庫は、戦災市民への供与などで処分されました。
この戦後のアメリカ支配に必要論を唱える人もいます。
全滅覚悟の忠誠心を持った日本軍も未だに存在していたかもしれませんし、D-Rationのおかげで餓死せずにすんだと言えるのかもしれません。
しかし、「アメリカは、戦後の日本の発展に貢献した」などと言う嘘の教育をアメリカで続けることは、やめて欲しい。
なってもいない未来を断定して、過去の出来事を隠蔽し、「正しいことだった」と納得させるは間違いです。無理強いしたことで、そのしわ寄せは多くの悪影響と反発、不調和を生み出し続けます。
もう78年も経ったのです。日本政府は、事実を伝え、国民のWGIP洗脳を解き、何を失ったのかを自覚し、どうすれば解決できるのかを直視するべきだと思います。
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