手帳売り場にて2021秋
来年の手帳が出回るこの時期は、ちょっと楽しくなる。
SNSで「手帳2022」とか「手帳会議」などで検索し、どんなものが人気があるのか見るのが楽しい。
私も次年度の手帳を吟味する。
ただ断言できる。来年の今頃、その吟味した手帳を適当に使っていると。
今年使っている手帳も、昨年の今頃に雑誌やSNSを見ては吟味を重ね、ロフトにも行き、考えて考えて買ったものだったりする。
最初こそ丁寧に記入したが、今は予定を書き込むだけの備忘録になっている。何も書いていない1週間もある。私は飽き性なので、継続力に乏しい。
こうなることは分かっている。
でも、やっぱり今の時期は手帳を吟味したい。
気に入ったものがいくつか出てくるから、複数買おうかなんて思っている。
私はその辺り、学ばない人間だ。
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昨日、地元のショッピングセンターの本屋さんに立ち寄った。
文房具屋さんのそれとは比較にならないけれど、手帳コーナーがあった。
膨大な量の手帳、微妙な違いがあるフォーマット、表紙のカバーの色違い、等々。
「あなたのニーズに答えます」感がすごかった。迫ってくる感じがすごかった。
【ここにある手帳たちみんなに、持ち主は現れるのだろうか?】
それはほとんどあり得ないだろう。
きっとここにある半数以上の手帳が、処分の運命を辿るだろう。
「僕、どうでしょう?」と迫ってくる感がすごいけれど、バッサリ切り捨てられる運命にあるだろうそれらを見ていると、なんとも言えない気分になった。
こういう過剰供給は、手帳に限らずいろんなところで起きている現象だと思う。
わかりやすいところで言えば、食品とか。
でも過剰供給しなければいけない現状や理由がどこかにある。そうせざるを得ない状況がある。捨てるのは分かっている。だけど作らざるを得ない。
そうすることで成り立っている現状がある。そこにはしがらみがあり、その上で成り立っている社会がある。
社会ってなんだろうなぁと考えることがある。
「人間が生きていきやすいように」と構築されてきたシステムだと思うから、根源は優しさから発生していると私は信じている。だけど時が経つにつれて、いろんなものが絡み合ってきて、そこには利権や利益を求めたものもある。
何が本当に必要なことなのか、なんて問えなくなっている。現状それで成り立っているものがあるから簡単にはやめられない。
こういうことが、生活のあちらこちらに散らばっているような気がする。言葉にするのは難しいけれど、手帳の現場なんかを見るとなんとも言えない気持ちになるのは、そういうことだと思う。社会が人間を超えてしまっている、って感じなのかな。私の語彙力が無さすぎて辛い、言葉にするのは難しい。
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でも書いてよかった。やっぱり手帳は一冊にしようと思う。
私に必要なのは一冊だけで、私が使いこなせるのも一冊だ。迫ってくる魅力的な手帳に振り回されるのではなくて、手帳を使いこなす側にならないといけないのだよ。