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怖かった体験へのささやかな向き合い方。小石を投げて反応を見る。

Facebookへのびくびくな近況報告

Facebookにひさしぶりに投稿しました。
自分のページに投稿するのはひさしぶりです。
ちょっとしたチャレンジなのです。

Facebookってな~んか怖かったり、苦手だったり・・・
この「な~んか」の辺りに大事なものが隠されている気がします。
(「な~んか」がどうしてか、は後日どこかで振り返ることにして話を続けます)

力を取り戻しながらも・・・ジタバタ。

投稿する前に苦手な人、もう中々お付き合いしないであろう人は、整理しました。
自分で人間関係を決める、というのは内側に力が戻ってくる作業となりました。

ただ、今回、かなり悩んだのは、最近離れてしまった場の方を含めるかどうするか、です。もちろん、苦手な方もいます。
結局、近況報告もかねて含めたのですが・・・
そこに一番、びくびくしています。
感覚的に重いか軽いか、で決めればよかったかなぁとまだ内心はジタバタしています。

内面に踏み込まれてしまった(と、感じてしまった)体験というのは、
頭の中で整理しようとしても中々、身体からは消えないものですね。
先日書いた「ただ見る」ことも役に立ちそうだと思いながら・・・
彼方の過去のいたみがそうさせているのだとも言い聞かせながら・・

「相手を加害者にしてはいけないよ」

以前、「相手を加害者にしてはいけないよ」という言葉を尊敬する方からいただきました。
そうだなぁと思います。
自分の想いをもっと丁寧に、ニュートラルなところから伝えられたのではないか。
相手のどんな言動にも反応せずにいられたのではないか。

その時は精いっぱいのことをやったと思います。
それでもわたしの中にある「恐れ」や「怒り」、その奥の「悲しみ」が彼らに何かしらの行動をさせてしまったのかもしれない、とも思います。
その彼らの奥にも「恐れ」や「怒り」「悲しみ」があるわけで、それらすべてはお互いにわかろうとするのはどう考えても無理があります。

誰にでも生きてきた膨大な背景がある。
誰のせいでもないことがある。
まだ試せていない、新しい「やり方」「関わり方」があったのではないか。

だから、まずは新しい見方ができる可能性を模索したくて、最近離れてしまった場の方を含めました。
思い込みを打破したかった。
ずるいやり方かもしれないです。遠くから小石を投げて反応をみるようなもの。

基準を決める、行動を起こした自分を称える

それでも小さいけれど、わたしにとっては大きなアクションです。
ここ、半年はほとんど関われなかったことを思うと・・・

関わるのが今の時点でも難しいと感じたら、また距離をとればいい。
「仕方がないことだ」とあきらめることができる。

「コントロール」「言葉が通じない」「わかろうとされない」「自分に対して大きな誤解がある」
これらの状況を目撃したら潔く撤退します笑
ひとり相撲をやめたいから、小さくても自分にとっては大きい挑戦をします。

どんな結果が待っていようとも、行動した!!!
エライぞ、わたし!!!ファイトだ~!!!(震え)


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