マッチングアプリからSaaSまで、10以上の事業でマーケティング責任者を担うCOO細田ってどんな人?
「世の中を、実験しよう」をミッションに絶えず新規事業が立ち上がるアイザックは、スピード感のある事業開発力を強みに絶えず成長し続けています。企業向けSaaSからマッチングアプリまで、幅広い事業展開を行うアイザックのマーケティングを一挙に担っているのが、2023年1月に就任したCOOの細田です。
今回は鋭い視点とユーモアを兼ね備えた細田が、どのようなキャリアを歩みアイザックジョインに至ったのか、その軌跡を掘り下げます!
琵琶湖フラストレーションで掴んだIT業界への切符
ーーー細田さんは学生時代からIT・スタートアップ業界にいたわけではなかったと聞いているのですが、どんな大学生だったんですか?
細田 紘慧(以下、細田):僕は東京出身ですが、関西の立命館大学に通っていました。キャンパスもメインの京都ではなくて、BKC(びわこ・くさつキャンパス)と呼ばれる滋賀県の方で一人暮らしをしていました。
ーーーBKC!東京でいう慶應SFCみたいな感じですか…?
細田:いや、全然違いますね。滋賀の人には怒られちゃいますけど、本当に何もないところで(笑)東京にはアイザック代表の田中や播口のように、学生時代から起業を志すような人が集うコミュニティがあるじゃないですか?関西には全くないので、そういった人たちと出会う機会もありませんでした。
アメフトチームとサッカーサークルに所属して、教職も取っていたので後半は教員免許取得が大変で……インターンもしていませんでした。
ーーーITにまったく接点がない中で、新卒で楽天に入社された経緯が気になります!
細田:正直あまり特別な理由はなくて、就活ではとにかく名前を知っている会社に片っ端から応募しました。高校が早慶や東大進学者の多い進学校だったので、琵琶湖から這い上がってやる!という気持ちが強かったのかも知れません。
書類選考は1社も落ちなかったので毎日選考を受けて、早い段階で楽天とNHKから内定をもらっていました。2社のどちらにしようか迷いましたが、IT業界に強い興味はないものの、当時新規事業が盛り上がっていた楽天が面白そうだなと思って入社を決めたんです。
マーケター人生のはじまりは、配属ガチャ
ーーー「面白そう」で入社先を決めるの、細田さんらしいですね!入社後はどんなチームで仕事をしていたんですか?
細田:元々教職を取っていたこともあって、お客様と会話してお悩みを解決しより良い方向へ導く…といったイメージで営業職を志望していたんです。でも配属されたのは楽天オークションというサービスのマーケティングチームでした(笑)
500人くらい同期がいる中で他に同期は誰もいなくて1人ぼっちでしたが、docomoと楽天との合同ベンチャーの事業部で、僕は在籍時期が被っていないですがメルカリの山田進太郎さんが過去インターンしていたり、ヤフーの小澤さんが見ていたこともあり、この部署の空気感だったりいる人は優秀で特徴的で面白かったですね。
ーーーマーケターとしてのキャリアは配属からだったんですね!具体的にどのようなマーケティング活動をしていたんですか?
細田:ひたすら楽天市場のユーザーを楽天オークションに誘致するキャンペーン施策や企画を作っていました。マーケターとして必須の数字に対する感覚はここで鍛えられたなと思います。
「このキャンペーンをやったら、どれぐらい(目標へ)数字を積めるんだっけ?」と、やってみないとどうなるか分からないものをどう数値化して意思決定するか? そのキャンペーンをやったから動いた人は何人いるのか? という想像でしかできないものをどう試算するかはすごく勉強になったなと思います。
数字を達成していないとしっかりと詰められる文化があり、終電で帰れたことはなかったですね(笑)緊張感の中で突き詰めることの大切さを知れたことも当時の自分にとっては良い経験でした。
ーーー苦しい中でも成長実感がありそうで、良い新卒育成環境ですね!
細田:ただ、楽天ほど大きな会社・サービスになってくると「自分がつくった」とは言いにくいじゃないですか? すでにある仕組みを活用して伸ばしていく仕事が多かったので、「自分のひとつの意思決定がサービスを育てているんだ」という実感が伴いにくいというか。
当時業務の中でCtoCサービスの社長とご縁があって。もう少し自分が作ったと言えてかつ「ユーザーの反応を感じられる仕事」がしたいなと思っていた中だったのでタイミングが合って転職を決めました。
とことん時間をかけて結果に向き合ったミクシィ時代
ーーーなるほど、マーケターとしてのスキルやマインドは楽天で身につけて、キャリアアップを目指してミクシィへ転職されたんですね。
細田:マインドでいうと、ミクシィ入社後の影響が大きいですね。恥ずかしいんですが当時の僕は完全に天狗だったんですよ。自分が仕事ができると勘違いしていて。それがミクシィ入社後叩き直されました。
PMとして入社したんですが、座席が社長と経営企画室長の間の席で(笑)毎日「いつ結果出すの」と半分冗談、半分本気で言われてました。自分とは比較にならないほど事業解像度の高い社長に、一挙手一投足を見られるのはキツかったですね。結果が出ず他のチームに異動になったりして、いろんな部署を経験する中でベンチャーマインドは相当鍛えられました。
なんなら飲み会で泣いたことがあるくらい上手くいってなくて。28歳とかだったのに(笑)社長との定例MTGの前日はアイディアが降ってこないと深夜までオフィスにいましたし。20代はとにかく時間をかけられるだけかけて課題を解決しました。
ーーー細田さんにもそんな時代が……聞いているだけでだいぶお腹が痛くなりますが、やりがいや支えはどんなところだったんでしょう?
細田:振り返っても厳しい環境でした。過程から成果まで全てを細かくチェックする社長が、ふと「ここもう口出さないから。細田のほうが詳しいでしょ?」って任せてくれる瞬間が来るんですよ!もうそれが本当に嬉しかったですね。卒業というか、ここはもう自信を持って良い領域なんだという。
あとは自分が自信を持って「これを使った方がいいよ」とユーザーにおすすめできるサービスに関われたのは面白かったですね。本当に良いと思っているものを世に広めて誰かの行動変容を起こせるって最高にやりがいがあるじゃないですか。マーケターとして、そういうサービスに複数携われたのは大きかったなと思います。
マーケティングスキルは、現場にいないとすり減っていく
ーーーミクシィ時代は社会人としてもマーケターとしてもブレイクスルーポイントになったんですね。その後、フリーランスとして働かれてたと思うのですが独立して成功するという展望があったんでしょうか?
細田:独立の経緯は、起業してやる!というより「次どこで働こうかな」と話を聞いている過程で、知人やVCの方からコンサルティングや広告運用の依頼があって自然とという感じでした。業種は当時D2Cがトレンドだったので、商品をウェブで販売する領域が多かったです。
でもコンサルタントは外部の人間なので、どうしても「コメンテーター」になってしまうんですよね。外からやるべきこと・やった方が良いことを言うのって簡単ですけど、実際にそれをやろうとするとしんどい。実行するのが一番難しいし尊いと思うんですよ。
マーケティングスキルは、最前線にいないとどんどん減っていくようなものだと思っています。新規事業で伸びないところに入って、試行錯誤して伸ばすっていう作業を一生懸命やり続けないと、どんどん古い人になってしまうんです。過去の成果を語る人にはなりたくないなと思ったので、フリーランスはすぐに辞めました。
ーーー特にマーケターはその時のトレンドをいかに把握して数字での体感を得られるかが重要ですもんね。そして実際に手を動かしてプロダクトを育てたくなってトリコ社のCOOに?
細田:そうですね。外からのアドバイザーより、自社プロダクトやマーケターを育て切りたい気持ちが強かったんです。トリコは元々代表が知り合いで、業務委託としてすでに関わっていました。僕のキャリアだとCMOでのオファーが多かった中で、COOという腹を括ったオファーをもらったんです。
社長はデザイナー出身でプロダクト開発に長けたスキルセットの持ち主だったので、マーケの自分が入ったら勝てると確信して参加を決めました。
あとは僕、基本メンヘラなんですよ。
ーーーメンヘラとは?(掘り下げて大丈夫なやつかな)
細田:僕は16タイプ診断ENFJ(主人公)なんですけど、自分の仕事だけやっておけばいいというタイプではなくて。採用もプロダクトも、事業成長に紐づくものを全部把握したいんですよ。COOなら全て管掌になるので、採用やマーケティング以外の事業全般のマネジメントを含め、どう伸ばすかというチャレンジができたことはすごく面白かったですね。
ーーー外からのアドバイザーから一気に中の人になったわけですね。マーケティングのバックグラウンドが活かせた場面はありましたか?
細田:組織マネジメントや採用活動においてもマーケティングのスキルは活きたと思います。どちらも人の心をどうハックするかなので。相手がどう思っているのか、こうコミュニケーションをしたらこう感情が動くだろうとか。
あとはもちろん事業を伸ばせたことですね!どの会社も事業が伸ばせないと上手くいかないので、逆に言えば事業が伸びていると大体どれもうまくいきますよね。アイザックでも事業、組織双方の側面から成長させて経営に寄与したいですね!
前編では、学生時代~前職時代までの経歴をお届けしました!
後編ではアイザックに入社を決めた背景や今の仕事について話を深掘っていきます。