気づいたらダブルケアラーに。今という時は今しかない。〜入院編〜
こんにちは。中田です。
あっという間に1日1日が過ぎていく中、ようやく母のいろんな手続きが落ち着いてきたこともあり、まとめていきたいと思っている。
私が突然タブルケアラーになったのは、2023年6月とのこと。それまでは母はフル元気ではなかったものの、コロナ前までは特に普通に生活ができていた。コロナ禍中から少しずつあまり人との接触はなくなっていっていた。
今、私は32歳だが介護をしている人の割合は低い。50代以上の方が親の介護をしている方が多いようだ。
1回目の緊急搬送
そんな中、2023年6月に母は転けて搬送された。
夜だったので夫に子どもを託し、一緒に救急車🚑で運び、その後別の病院に移らないといけなくなり、夜22:00くらいに真っ暗な中一旦家に戻って、必要最低限の荷物をとって別のまちの病院まで車で向かった。
その後緊急入院となり、夜中の2:00くらいに必死に色んな書類を書いた。3:00くらいに解放されて、高速を走っている時は、トラックが多くてトラックの運転手さんが私を応援してくれているかのように感じた。そこから仮眠して仕事して1日がたった。
そこから命には別条はなかったものの、
母の病院先まで車を走らせる日々が続く。
2023年6月中旬に入院してそこから7月中旬まで、
週2〜3回は車で病院まで向かっていた。片道30〜40分。面会時間も限られているため、10〜20分ほど喋ったり必要なものを置いて帰っていく日々だった。
そこからリハビリ病院に移ってからは面会時間が平日日中と限られて、会いに行くのが難しかったため、洗濯物だけ届ける日々を送っていた。
2回目緊急搬送
そして9月には退院したが、10月中旬に転倒し再度緊急搬送。
再度入院することになった。今回は骨も折れていたため手術も必要となり、あらゆる書類を書いたり説明を伺いながら進めた。
病院も近かったため、必要備品があれば届けにいくスタイルで行くようになった。
また面会時間も15分ではあるものの夜も行くことができたので近況の会話をしていた。
またリハビリ病院に移るとそこからは、あまり面会できていなかったが、母が帰ってきたときに何が必要か、色々な人に聴きながら準備を進めた。
しかしここで気づかなかったことは、1回目の入院時の後遺症がすでに出ていたようで、病院から報告を受けるものの「ん?ちょっと違う症状では?」と思う時が増えた。
ただ平日日中しか面会をやっていないため、母とはあまり会うことができず、何が原因で他の症状が出始めたのかが分からなかった。
そこから2024年3月中旬に退院。母は半年以上入院していたこととなる。
そしてここから魔の1週間が始まった。
母は何度も私を夜中に起こしに来るようになった。10分おきや5分おき、それがずっと明け方まで続く。
もはやこの時私はほぼ一睡もせず次の日を迎えた。その5分おきに起こしに来る時間を全てメモ📝して、母を病院へ連れて行った。
そうするとこけた時の後遺症が出ており、
すぐに大きな病院で見てもらったほうが良いとなった。大きな病院に見てもらう間、4日間ほどは本当に大変だった。仕事をするにも場所を変えたり、訪問看護の人にきてもらったり。
あの時訪問看護の方が1日30分ほど毎日きてもらっていたのだが、とっても救われた。
あの時母とマンツーマンであれば、もう私の身が持たなかったように思う。
また娘の送り迎えの時も私宛に電話がガンガン鳴った。
すぐ紹介状を書いてもらい、母を病院へ。その結果、家族が思っていた以上に後遺症が出ていて、緊急入院となった。
この時入院できていなかったら、、、と思うとゾッとする。
3回目の入院?!
もう何回入院したのかだんだんわからなくなってきたけど、3回目の入院となった。
後遺症が出ている間は、面会の時も目つきが違ったし、電話も何度も鳴る。
そんな中でも病院の先生方や看護師の方がすごく向き合ってくださり、少しずつ母は穏やかになっていた。
私たちではどうすることもできなかったので、本当に感謝しかない。
何より、本人が一番苦しそうだった。
あの時は私たち家族もいっぱいいっぱいだった。
入院してホッとしたのもつかの間。
母が穏やかになるほど、病院はずっといることが難しいため次の場所を探すことになる。
そのお話はまた今度。
少しでもできる工夫を
ともかくこの1年で母は5回病院に入院していた。
そしてまだまだ子どもが小さい私たちは、
子どものこともあるので、介護にベッタリというわけにはいかない。
そんな中、私も何度もいろんな書類を書いたり、手続きしたり。姉も病院に向かい荷物を運んでくれたり、他の病院にかかる時の送迎をしてくれたり。
まさに姉妹で役割分担しながら乗り切った感じだった。
ぜひ一人でやらずに、家族と役割分担できる部分はして欲しい。
また、私は病院の支援する方に、どんどん不明点を質問した。そうすると次の疑問が出てきて、その専門の方を紹介していただくようにしていた。
そして入院中は例えば着替えのサービスなど利用できるものはとことん利用した。毎日病院に駆けつけることもできないので、頼れる部分は頼った。ぜひ抱え込まずに、いろんなものを頼って欲しい。
今回は入院編のことを記載させていただいた。もし一人でも悩んでいる方がおられたら、一緒に乗り越えていきたい。そんな思いで今回まとめてみた。