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貴女という一つの時代が終わり、考えた事。そして、これからどうするべきか?

これはある老女に宛てた文章。私の知り合いのね。

一つの時代が今終わった。大正から令和に至るまでずっと見てきたのだからすごく長い期間生きたのだろう。

戦時中も、そして、その前も、いろいろな経験をしてきたことを知っている。

戦後はタケノコ生活で四苦八苦して、自分の親の反対を押し切って、洋裁学校に入り、自分の家を建て直すという考えを持っていた。結局、貴方の亡き夫が婿に来るという事で計画自体はご破算になった。

でも、その時、「男の頼って生計を立てているようでは、今回は助かっても、次はないのでは?やはり、女性は仕事を持ち、自分の力で稼げなくては」という信念もその時に持つようになったという話を聴いた。

そして、それが自分の娘二人への教育に繋がったことも知っている。

私が子供の頃、貴女は優しく頼りがいがあった。無論、世間知らずな面はあったので、各方面と、摩擦があったことも知ってた。

実際、家の使用人との確執や自分の娘の夫との意見の食い違いというものがあり、苦労したということは知っている。それで、トラブルに繋がっていたことも。

だけど、ある光学の研究者と検事を世に出した。しかもあの当時、職業差別が露骨だった、そんな中で、二人の女性を世に出した。それは、貴女と、今は亡き貴女の夫の教育の賜物だった。

実は、私の今の知り合いのお嬢ちゃんは貴女にある部分そっくりだ。ただ、貴女ほどの力は多分ない。そして、その娘の親も。そういう意味では、貴女の教育力と、それを支える貴女の信念はすごかったのだと思う。その頃は、私はこの世にはまだいなかったので、話の中から想像するしかないのだけど。

私は、仕事の関係で東京に出ていたが、玉に帰っていた。帰った時にたまに会っていたが、この数年はかなり心配をしていた。だって、ずっと一人っきりだったから。無論、家族はいるのは知っている。でも、それ以外の人と、接触する機会が一気に減っていたのだから。特にコロナ禍以降に。

それまでは、東京に出て、音楽のバーとか、いろいろと観光するとか、アクティブな性格だったので心配はなかったのだけど、この数年は全く人が変わってしまったように思えてた。

人間嫌いなのは知ってた。というか、自分と話が合わない人が大半で、この世というか、この社会に対して疑念を抱いていたことを知っていた。

特に、若かりし頃、貴女の亡き夫が、地域の奥様連と交流させようとしていたが、結局、拒絶したことからも分かる。

「あの人たちと話が合わない。なんで、あんな下品な噂話しかできないのか。」と漏らしていたことからも分かるし、教養としては、かなりずば抜けていたこともわかる。

まあ・・・とはいえ、お嬢様大学でやったことがどこまで役に立ったかは分からないけどね。肩もみの実習とかいろいろとあったことは知っている。

結局、他の人との交流がやりにくいことは知っていたし、今のようなネットの社会ならSNSを通して、貴女にとって、いいか悪いかは分からないけど、教養のある層とやり取りもやりやすかったかもしれない。

そういう意味では時代が悪かったというのが本音。まあ、あの当時、文通とか、そういうものもあったのだろうし、社交クラブみたいなものも都会ならあったのかもしれない。

だから、どうしても、殻にこもらなくてはいけなかったという気持ちは分かるんだよ。だけど、それでも、貴女はホントに幸せなの?と思ってしまった。だって、ずっと、ベットで壁を見て生活をしていたのだから。本来なら老人ホームに入れ、貴女の仲間を探して、老後を有意義に過ごせるように促した方がよかったのかも知れない。貴女は拒絶するでしょうけど、それでも、もしかしたら、気の合う友達もできたかもしれない。そして、楽しく過ごせたかもしれない。無論、これは仮定の話で、そうならなかったかもしれない。ただ、それでも、あのような生活でよかったのか?って思ってしまっていた。

そして、今年に入り、状況は悪化した。転んで骨折を繰り返したり、肺炎になったりと。今まで、元気な時は足の筋肉が発達して、転ぶどころか、遠いところでもどんどん歩いて行けた。だから、弱体化した姿を見てかなり心配だったし、肺炎だって、一体、何があったのか?と思ってしまっていた。そして、認知症が進んでいたことも知っていた。結局、この数か月、私は仕事に追われ、会うことができなかった。だから、この前、会おうと棄教したら、入院していたと、しかも、コロナ禍で面会の制限があったと。そういう状況で、会うことができなかった。このことは私は悔いている。ただ、私の顔ももうわからなくなってしまうくらい認知症が進んでしまったとも聴いていた。また聞きでしかないから分からないけど、私の事すら分からなくなった姿を見なくて済んだのは幸いだったのかもしれない。昔のあのイメージと重ねてしまうかもしれないから。

そんな中、貴女の訃報を聞いた。病状を聴いていたから、覚悟はしていた。だから、比較的ショックは少なくて済んでいる。ただ、それでもショックだということには変わりないんだけどね。

貴女からはいろいろと学んだ。一体、人生とはなんなのかとね。

戦後、自分の家が零落し、周りが、「まだまだ大丈夫」と楽観視していた中、貴女だけが、この零落からどのように家を守るか?考えて実行に移す寸前のところだっていうことを知っている。

これは、今の私の仲間を見ていても思うことなのだけど、結局、零落していくと諦めてしまう。本来、どうすべきか?ではなく、もうどうでもいいとね。そういうのを見てきた立場からすれば、逆境に立ち向かっていたと言わざるを得ない。

そして、その時に、なし得なかったけど、その精神を娘たちが受け継ぎ、見事、昇華したのだから、それはすごいとしか言いようがない。

ただ、最期の数年間は、一人で生きていたということは果たしてどうだったのかと?

こういうことを見てきて、私は、一体、どう生きるべきか?と考えてしまう。

私はかなり過激な考えを持っていて、いかに生きるか?と、いかに無謀な出産を止めるか?という考えを持っている。

それは、貴女の教育と反対の教育、下手すれば虐待になるようなものまで、見てきた。

それはなぜ、そうなるのか?と貴女の教育と比較して考えていた。

多分、「困難があった時は特に女性は働く必要がある」と、そして、そのために、「学力など、生きる力を、女性こそが身に付ける必要がある」と、「男性任せにして、自分は何もやらないというのは違う」と、そういう信念が私が見てきた人たちには足りないのではないか?と思ってしまう。

つまり、「男性の金をあてにすればよく、男性がもし倒れたら、別の男に乗り換えればいい、」「学力は別につけなくていい。」「適当に働いて、あるところで、男性と結婚して養ってもらえばいい。」「そのために、男性を誘惑して、身ごもり、男性を束縛すればいい。」(結果的に男性は女を見捨てるし、そういう計画が元からあった疑いまである。)
こんなことを考えているのが、私の今の知り合い。そして、シングルマザーになっても、考えを改めないと。それどころか、自分の子供に恨みを抱くと、だから、子供はグレて、反抗的な態度をとるようになると。近くの教育困難校を見ても、困難ばっかりさ。

でも、貴女の教育はこういう悪教育を一切許さなかった。だから、いろいろと問題はあれ、私は評価するよ。

そして、貴女の考えは、今のような浮かれた時代にこそ、必要かもしれない。

TIKTOKやインスタでルッキズムにハマったりして、男をだらしこむことしか頭にない女とか、そういう女をひっかけて快楽だけ得て、女を捨てたり、そういう女を見て喜ぶ類人猿どもがいるようなこの社会こそね。

ただ、昔と違い、表面上は差別的な言動が出来なくなった。

実際は裏でチクチク差別をしているにも関わらずね。

そして、それが昔よりも、女性蔑視が見えなくなっているのと、チー牛だ、何、牛だか知らんが、そういう妬みを持っている連中が逆差別だと騒ぐ原因になっている。

そして、その結果、今までの様な目標がなくなり、「好きにしていいよ」と言われ、何をしたらいいかわからなくなっていて、そして、TIKTOKだインスタだに影響されていくという状況になっている。

果たして、これをどうすべきか?

この先も答えは出ないのだろうけどね。

いろいろな要因がありすぎるので、何とも言えないところがあるから。

ただ、それでも、貴女から教わったことを引き継いでいきたいと思う。

少なくとも、「人のいう事は疑ってかかってよし」「自分の頭で考えろ」「分からなかったら勉強しろ、一生死ぬまで勉強だ」「そして、行動しろ」と、これはこの先、どのような時代になっても、変わらないのだから。

だから、安心して安らかに。

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