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以下のノートの続きである。

実は今回のはゼミでは発表番ではなかったが、少々、興味があった内容だったので調べてみた。

なお、今回もこの文献を使って調べた。

今回は、第2章第3節産業革命と民衆の結社の調査メモでそれは以下の通りである。

友愛協会とは相互扶助活動を中心とし,宴会を開いたり,会を誇示する行事を行う組合である。労働組合,協同組合,チャーティスト運動,救貧法への対応,福祉制度の形成を行なったとして知られている。多岐に渡って活動していたようである。ある見方によれば,大規模な共済組合である。ただ,具体的な輪郭を持っていない。

1793年に救貧税を軽減する際に,政府はこの会を有益なものとして定義していた。ただ,改正救貧法が出たときには友愛教会は政府がつぶそうとしているのではないかという危惧をしたことと政府に内実を知られたくないということから果たして,政府と折り合いがついていたのかは不明である。

また,産業革命により入会者の人数が減少した。なぜなら,男は仕事,女は家庭という生活スタイルが変化したためである。

また,この頃女性は財産権を持っていなかったということも人数が減少した原因だと思われる。この頃,女性は社会進出をすると蔑視されるということがあったらしい。

この時代、一定の金額で保険や年金支給や医療行為を行なっていたところもあった。その一方1830~1860年代では働き口探しの旅費は出すが,失業時の救済がないということがあった。その一方,金の他に、レクチャーや図書の貸し出し,葬式を行なったところもあった。

友愛協会では合言葉や秘密のサインを使用していた。これは,不正を行なってはいないない事を示すための独特な証明法であったといわれている。

この教会の強みは,対象に「施し」ではなく,「権利」であるという認識にさせることであった。これに惹かれてくる人もいたらしい。

また,20C以降国家の福祉に取って代わられた。この論文から分かることは,友愛教会は保険業,チャリティー,労働組合、さらに,今日の福祉の原型のようなことをやっていたということがわかった。
日本では国家がやっているような(物によっては幕府がやっていた)ことをおこなっていた。このことから,英国では国家よりも結社の力が強いのではないかと思われる。

なお,この論文は未完成というか曖昧な知識を使って書かれたのではないかと思われる。

なお,英国では救貧法(1531年)改正以降友愛教会のような相互扶助組合は再編成されていったらしい。なお,英国病という福祉依存者が増加したということがあとで発生した。

サッチャリズムが起きたのはこのような背景があったためらしい。

ネオリベの台頭の原因やニートの原因にもなっていたのだと思うのだが。

なお,これに反対し曲にしたのが,"Sex pistols"の"God save the Queen"らしい。

以上より分かることは「福祉も程々にすべきである」ということである。

(ここまで)

という文章を作ったのだが、いくつか調べてみたいところが多いかなと思う。

後、英国病に関しては、果たして、どこまで、問題だったのか。

今のように、福祉よりも「自己責任」が強くなっているような風潮だと、いろいろと懐疑的に思える点もないわけではないだろうし。

それにしても、協会というか宗教の一側面には、社会福祉という側面があったのだろうかね。まあ、プロテスタントはカトリックのやり口に対して、批判的だった時代もあったらしいが。社会福祉という意味で。

まあ、「自己責任」が強い状況だと、その当時のプロテスタントのやり方をかなり疑問をもつが。

それにしても、大学の教養の時に書いたレジュメをそのまま、張り付けたようなものだけど、やっぱり、この時点では、歴史に関する考察がいろいろと抜けてたりするなと思う。

それに、新自由主義の台頭に関してはこの頃にも疑問は感じていた。ただ、それは、単に「イキリたてている余裕のない人」という感じでしかないレベルだったが、後の人生経験や文献を見ると、それだけでは済まない話だったと今更ながら考える。

それにしても、新自由主義だけではなく、自由主義者の中にも個人主義をやたらと信奉するものがいるけど、やっぱり、ある程度、「共同体」や「結社」が必要なのではないかと考えさせられた。

これで、あの当時に書いたレジュメは全て出したが、他にもいろいろな組織があった時代ごとにあったみたい。まだ、元の本で読んでないところがあるけど、実家に帰ったらいろいろと読んで見るかな。

後、元の本のシリーズは、英国以外にもいろいろとあるみたいなので、そっちもいずれ・・・といってもそんなに先ではないと思うけど、見てみることにしよう。

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