小説を書きはじめたら。
きのうの早朝から「いつまでたっても小説が書けない」自分のことを、ようやくnoteに書きだしたら、去年の11月くらいからとまらなかった、無意識にくちびるをかむクセと、右手の親指の爪まわりを人差し指でスクラッチする行為が、ピタリと止まった。
まゆみはが焦燥感にかられたり、心に解決できないモヤモヤをかかえていると、こういう軽い自傷行為がとまらなくなる。無意識にやってしまうので、唇は皮がむけてバリバリ、親指の爪の下の皮膚もカチカチになり、ときどき割れて血がでた。
2002年のおわり、まゆみと夫はカナダにきて以来、ずっと働いてきたホテル業をやめて、ビルの一角にある小さな店舗で、食堂とケータリング業をはじめた。
イラク出身の夫は、まゆみが出会った当時はまだ英語が話せず、はじめての仕事はカナダの大手ピザチェーン店のキッチンで、裏方として働いていた。翌年まゆみがワーキングホリデーで、カナダの観光地に働きにきたときは、ホテルの見習いコックをしていた。
彼はもともとイラクの専門学校で、フランス人シェフについて料理の修行をし、その才能を認められて卒業後すぐ、バグダットの一流ホテルで いきなりイベントケータリングを任され、責任者として活躍した。20歳になる直前にイラク・イラン戦争がはじまり、その後の湾岸戦争まで、20代のほぼすべてを軍隊ですごす。
夫は腕があったので、カナダにきてたった2年で料理長の補佐をする、キッチンでNo.2のチーフシェフになり、3年目には別のホテルのヘッドシェフに抜擢された。そこでの仕事ぶりが認められ、4年目には、都市にある大きなホテルの料理長に選ばれることになった。
そこで彼はリニューアルオープンしたレストラン、結婚式などのイベントすべての総指揮になり、大人数のスタッフをかかえて、朝から晩まで忙しく働いた。キッチンでの仕事に加えて、管理職としてミーティングや事務がふえ、充実しながらも心身のストレスがたまっていく。
タバコの量がふえ、ストレス発散に仕事おわりに飲みに行き、胃薬、頭痛薬、咳止めシロップが手放せなくなった。ジムに行く時間もなく、不規則な生活で体重はどんどんふえて、体調は悪くなるばかりだった。管理職のストレスでメンタルにも限界がきていた。1999年にまゆみと夫は結婚し、2人はホテル勤めをやめて、小さな食堂をはじめたのだった。