小説家チャレンジ25日目。
「文章を書くこと」を生活の一コマにしよう。
そう決めてnoteに書きはじめて、とってもいい効果があることに気づく。
「書く」ことで、これまでの自分の軌跡を改めてたどるので、よくもわるくも見直し再評価できる。
あと少しで50歳。コロナ休職中に、あらためて自分のこの年齢を自覚したとき、正直落ちこんだ。受け入れられなかった。どうしてもイヤだった。もう50歳だなんてそんなはずない。
髪は薄くなるのに白髪は増え、視力がみるみる落ちた。きゅうに肌がおとろえ、顔のシワやシミが目立つ。それまではキレイになるためのメイクだったのが、さいきんは「何とか世間にお出しできるレベル」になるようにメイクするようになった。これまで着ていた服がしっくりこなくなり、夫にすすめられて気乗りせずに買った新しい服の方が、明らかに似合うようになっている。
「今の自分」を受け入れられない、最大の理由。昔、自分がこの年になったらこうなっているだろう、と想像していた、期待していた自分像と今の自分がぜんぜん違っていたからだ。こんなはずじゃなかった。
カナダに来てからずっと、どこに遊びに行くこともなくあんなに頑張って働いたのに、長くてつらい不妊も乗りこえて、やっと2人目も生まれたのに、これからは子育てに専念できるよう、現場に出ずにすむよう、思いきって店の形態をかえたのに、結果としてまさかの倒産。夫婦で大失敗してしまった。
一社会人として恥ずかしい、こんな落ち方をして世間に恥ずかしい、私たちを信じてサポートしてくれた人たちに迷惑かけて、ほんとうに申し訳ない、あわせる顔がない。子どもを食べさせるのに困るなんて親として失格。お前は人間としてダメだ。
倒産いらい、とにかく自分たちの落ち度を探し出しては、24時間毎瞬休むことなく責めつづけた。夜は恐怖と不安で手足が痺れ、動悸で眠れない。後悔の感情しか、感じない。ズタズタの精神状態で、生後1年もたたない赤子と、小学校にあがったばかりの息子の子育てをした。髪が逆立つような思いで生活する日々が2年間続いた。
人生の安定期に入ろうかという年齢で、幼児2人を抱えてきゅうに夫婦で無職になってしまった。とにかく夫婦どちらか1人でもいいから、何でもいいから働かなくてはいけない。
この州では、1歳半から子どもを保育園にあずけて働ける。息子がその年齢になる一年前から、必死の就活が始まった。まさか48歳と55歳になって、再就職するなんて考えてもみなかった。
落ち込んでても仕方ない。まず夫に赤ちゃんを預けて、二日間の無料就活セミナーに行き、20年ぶりに最新の履歴書づくりと、オンライン応募のやり方を勉強した。
応募する職種によって、何パターンもの履歴書を用意すること、会社ごとの人事や経営者に宛てたカバーレターを、そのたびに作成することを学ぶ。
そして夜中の授乳の合間に、ガレージから引っぱり出してきた、おそろしく古いパソコンの前に座り、目を血走らせて作業した。翌朝は早く起きて小学生の息子を、学校に送って行かなくてはならない。夫は倒産で私以上にダメージを受け、当時は生きているのが精一杯の状態だった。
就活で1時間しか寝てなくても、まず息子を起こして支度させ、お弁当をつくって、赤ちゃんも支度して車のベビーシートにのせて、毎朝小学生まで送って行かなくてはならない。
学校に息子を送っていくと、毎日じぶん以外の何の心配もない親子たちの、平和な登校風景を目にしなくてはならず、そのたび孤独と恐怖にふるえた。幸せそうなお母さんたちにまじって、ベビーカーのハンドルをしっかり握り、そこで急に叫びださないように、その場に泣き崩れないように、感情をおさえこむのがやっとだった。
何も知らない同級生のお母さんに「おはよう」と笑顔で声をかけられると、こわばった表情で必死に挨拶を返した。
その後なんとか再就職できたと思ったら、間もなくコロナ休職になり、いまは行政の手当で何とか親子4人暮らせている。今週は、ちょっとした手違いで、たまたま来週まで1万円生活をすることになった。だけど4年前の苦しみにくらべれば、何でもない。
下の息子は4歳になった。でもまだ言葉を話さない。今日はリビングの端に立って両手を広げ、離れて座っているわたしの目を、まっすぐ見ながらニコニコ全速力で走ってきた。そして正座している私の胸に、思いっきり飛び込んできた。彼はそれをキャッキャ笑いながら、全力で20回続けた。
夜は子どもと同じふとんに入り「あなたがウチにきてくれて、お父さんもお母さんも嬉しいよ」と、ささやぅように語りかけていると、息子は天使のような顔で、スヤスヤとねむりにつく。
これから5日間、使えるお金はほとんどない。外は先週からずっとマイナス30℃で、どこにも出かけられない。
店もお金も見栄も全部なくなった。すると数人をのこして、周りにいた人間はきゅうに態度が変わり、みんな離れていった。この先も息子がいつ話しだすのか、事故にあって手術した夫が働けるようになるのか、自分はいつか復職できるのか、先のことは何もわかってはいない。
それでも心はふしぎと波立たない。2人の息子を愛してやまない夫と、天使のような息子たちがいっしょにいてくれる。きっと神さまは見ている。
なんの根拠もなく、ついさいきんわたしは自分の幸せな未来を、なんだか信じられるような、想像してもいいような気持ちがきざしてきている。
うまれてはじめて、自分のしあわせを祈れるような気がしている。