小説家チャレンジ41日目〜🇮🇶イラク訪問〜
先週、バチカン史上初めてイラクを訪問したローマ法皇が、きょう帰国された。
イラクには、今でもキリスト教徒が35万人ほど住んでいる。中東の宗教マイノリティとして長年迫害をうけてきて、常に命の危険にさらされてきたので国外への移住が絶えず、イラクに住むクリスチャンは年々へって、今は絶滅危惧種に近い。カナダに移民してきたウチの夫もその1人。
彼の妹と弟はノルウェーに移民、いとこ達はアメリカ各地、同級生の多くはオーストラリアと世界中にちらばっている。
イラクのクリスチャンは主にカトリックで、夫の実家のように正教徒は少数派。彼はマイノリティ中のマイノリティだ。
今回フランシス法皇は、クルド人自治区とその近辺にある、世界にほぼ知られたことのない、イラク北部のキリスト教徒コミュニティをいくつか訪れた。
何十年も混乱が続き、治安が安定しないイラクに、法皇レベルの国賓が訪れるのはめずらしく、今回の訪問は国としてかなりの名誉で、国をあげてのイベント。
国としての歓迎ムードに加えて、人口数万人のキリスト教の小さな町に、まさかのカトリック教会の最高峰が、歴史上はじめて訪れるというので、訪問が発表されてから、各地で施設や道路を整備したり、軍をあげて厳重な警備体制をしくなど、オリンピック並みの歓迎準備で、イラク北部がお祭りさわぎになっている様子が、SNSで連日フィーチャーされていた。
先週、法皇が到着されたクルド人自治区の首都にあるアルビール国際空港。
5年前、わたしも夫と当時4才の長男をつれて、この空港におりたった。
当時はアイシスが中東を震撼させていて、イラク北部の夫の実家のある、キリスト教徒の町の多くが襲撃をうけ、住民は命からがら避難した。
夫の故郷は、さいわい襲撃予定の明けがた直前に、情報が入り、住民は何も持たずそれぞれの家族が車で町を脱出し、ほんの1時間くらいの差で全員惨殺を免れる。
とうじ他のキリスト教徒の町からも、少し離れたクルド人自治区に、みんな避難していた。アルビールには、昔からキリスト教徒の住むコミュニティがあり、その近辺には空港やアメリカ大使館があって、クルド軍が常駐している。
わたし達家族は、当時アルビールにある、夫の両親と一族の避難先を訪れたのだった。
キリスト教徒地区には、町のいたる所に装甲車や銃を持ったクルド兵がいて、ものものしい厳戒態勢がしかれていた。
教会やモール、遊園地に入るにも、自爆テロを警戒して必ず金属探知機とセキュリティチェックがあった。私のような一見していかにも外国人は、拉致される危険満々だったので、タクシーもほぼ利用せず。
当時のイラクは、身代金目当てのクリスチャン誘拐が大流行していて、お金を払ったあとで殺されるケースも多く、たくさんの聖職者も犠牲になった。キリスト教徒は海外に家族がいる場合が多いので、高額の身代金が要求できる。
アイシスが占拠していたせいで、夫の故郷には爆撃があり、多くの家屋や店舗が破壊された。すべての家が掠奪され、爆撃をのがれた家々がベースキャンプに使われ、土足で入って中で焚き火をしたり、家はことごとく破壊された。
夫の一族も2年ほど避難生活をつづけたあと、アイシスが撤去したあとの故郷へ戻った。
命に関わる危機感は、当時ほどではないけど今でもライフラインさえ危うい生活が続くイラク、長年にわたってクリスチャンが日常的に殺されてきた歴史のある国に、キリスト教の象徴である法皇が訪れるなんて、常識ではありえないことで、誰も想像すらしなかった。
夫との結婚いらい、この何十年のイラククリスチャンの迫害の歴史を見てると、今回の訪問はまさに奇跡。
わたしは99年にもフセイン政権下のイラクに、夫の故郷で結婚式をしに訪れている。
当時も4年前も、イラクの日本大使館は撤退していて、2回とも「行かない方がいいですよ、国は責任がとれないので自己責任で行って下さい」という渡航勧告が出ていた。
なのでこれまで2度、完全に命の保証がない訪問を体験していて、滞在中はいつ誘拐されてもテロにあってもおかしくないので、常に緊張感がハンパなかった。
一般人でさえこうなのだから、そんな国でずっとターゲットにされているキリスト教徒の、しかもシンボルが訪れるなんて、戦地の最前線に裸で旗をふって歩くようなもの。
法皇もだし、法皇の安全を保証したクルド軍とイラク政府にもリスクがすごすぎて、今回の訪問はほぼギャンブルであり、双方ともすごい決断をしたと思いました。
3日間の滞在中、何もなかったのは本当に奇跡でした。この訪問を通して「奇跡は起きる」を体現し、つらいことしかなかった中東のクリスチャンに、希望と祝福をあたえたフランシス法皇はすごい。
この20年間で、はじめてきくイラクからの明るいニュースでした。