小説家チャレンジ53日目〜ドブにハマる〜
先日Twitterで『塞翁が馬』という言葉を目にした。
聞いたことあるけど意味をしらず、調べてみた。
「人生は予期せぬ出来事の連続。一見幸運と見える事がじつは災いをよんだり、一見災難のような出来事が結果的に幸運につながったりする」
みたいなことらしい。
て言うことはだよ。
人生でおきる出来事は一瞬「幸運」「不運」に見えて、一喜一憂しちゃうけど、長い目でみると、じつは単純に、白黒ハッキリつけられるものじゃないということ。
あとになって「幸運」「不運」っていう当時のカテゴライズが、ひっくりかえることさえある
世の中には、100%の幸運も絶対的な不幸も じつは存在しない
そっか「幸福は主観」ていうけど そういう事か
じゃあ人生で何か『思いがけない不幸』が起きても、人は自分でその体験を『思いがけない宝』としてふり返ることも、その体験からえた何かを再発見することもできる
ハズ?
不測のできごとを『ラッキー』『不幸』って 定義してるのは自分だ
『思いもかけない出来事』は 天からの『思いがけないギフト』ともいえる
宇宙が『幸運』とか『不運』コンセプトなく ただただ無限に体験というギフトを『与えている』のだとしたら
わたしはたくさんもらってきた。
この50年かなりどっさりもらってきた。
じつはもらいすぎてて部屋はもういっぱいい
amazonみたく、小包が次々どんどん届いちゃって
もうありがたいというよりは
開けてない箱が山のようにたまっちゃってもはやゴミ屋敷みたいになってるイメージ。
カオスな人生。
別の日、またある人のTwitter
『難のない人生は無難だけど 難を選んだ人は“有難い”人生、感謝のある人生を送れる』
ハッとする
これも私には新しいものの見方。
だってこれまでずーっと『難』のある人生を生きてきて、それが『有難い』人生だなんて思ったこともなかった
これまで生きる上で迷いはなかったのに、50歳になったとたん、急にこれまで無難に生きてこなかったことを後悔し、恥じ、じぶんの生き方すべてまちがってた気がして、
もう自己否定がとまらなくなった。
いちばん最近の自営業に失敗した体験から
その後わかった次男の自閉症診断
結婚して夫のギャンブルと不妊に悩んだ10年
カナダに来てからの仕事のキャリア選択
あいまいな学生時代の進路の選びかた
子ども時代のわがままな自分
生まれた実家の環境
ぜんぶぜんぶまちがってる気がした。
ぜんぶぜんぶ自分が愚かで選択を誤ってきた 気がした
いまこうやって後悔してるのは
ぜんぶ自分のせいなんだ
ぜんぶ自分がわるいんだ
私が至らなかったんだ
なんて愚かだったんだ
恥ずかしい
最悪だ
人生ではじめて一番きらっていた『後悔』が怒涛のように押しよせ、そこから勢いが止まらなくなった
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
過去のじぶん、
過去のできごとのすべてをふり返って
ひとつひとつ『失敗』『黒』にぬりつぶす無意識の作業。
でも『塞翁が馬』のたとえを知ったとき
『ここから』現時点から 過去の『不運』『不幸』『失敗』のすべてを
一つひとつ『幸運』『恩寵』『成長』と見直すこともできるんじゃないか
自分の力で、おきた出来事を吟味して
ひっくり返して裏までよく見てみたら
新しい発見があるかもしれない。
黒いコマの裏側は白。
ふりかえると、じぶんの後ろにダーッと黒いコマが一列に並んでいる。人生ふりかえってぜんぶ失敗って気が滅入る。
でも人生の最初のコマは『この世に生まれた』こと
命は天の恩寵だから、そもそも人生のスタートは『白』のコマ
だから、いちばん最近の不運、手前の黒いコマをじぶんで裏返して見直して、価値を再発見してそれが『白』に変われば
オセロみたいに、この一列ぜんぶ、ダーッと『白』『恩寵』『ギフト』にかえることできるかも!
と思った。
でもそれができるのは「自分」しかいない。
じゃあどうやったら、今からまっ黒の過去をまっ白な軌跡に変えられるのか?
それにはこれまでのふれたくない『黒歴史』を、一つひとつ紐といて分析し、そこに隠れていた『光るもの』を探していくしかないんじゃないか。
今からわたしのやるべきことは、後悔ではなく、この黒くて臭くてドロドロした、過去という汚濁に飛び込んで、素手でドブさらいをすることだ。
それで思い出した。
そういえば去年、息子の件で相談した出雲のサイキック姐さん、ふと
「これからはドブさらいすると、底から宝石が見つかるかもしれませんね」
って言ってた。
このことか!
過ぎた事をクヨクヨしてても仕方ない
でもこれからの行動は自分で変えられる
過去さえ自分で恩寵に変えられる
部屋いっぱいのゴミの山、じつは宝の山
いい年して、腕まくりして、パンツの裾もたくしあげ
靴もくつしたもぬいで
さあ、これからドブさらいスタート!!
がんばろう。