見出し画像

小説家チャレンジ29日目。


 子供たちの5連休の3日目。寒すぎて外出できないから、親子4人でずっと家にいると、どうしてもちょっとしたことでイラッときて、人っておこりっぽくなる。

 太陽の光がさんさんとしている午後のリビングで、ちょっとウトウトしかけた夫と、TVにあきてきたJJ。わたしはキッチンで片づけをしてたので、夫にかまってもらいたい4歳児が、カウチに飛びのったり、コーヒーテーブルの上に立ってみたり、玩具を落っことして大きな音をたてたりして夫に叱られる。

 怒られたのが気に入らないJJが大声で泣きだして、それに夫がまたイライラきて、地獄絵図になる気配だったので、大急ぎで息子2人身じたくさせて、私と子どもだけでドライブに。かわいいとはいえ、24時間ずっと息子たちがいるわけだから、夫も1人の静かな時間があったほうがいい。

 じぶんの神さま系の話は、公にほとんど書いたことがない。カナダ生活のなかで信教の位置は、たとえば性別、年齢、国籍、出身地、母国語、宗教というように、その人を構成しているプロフィールの一部。

 だけど日本だともっと「思想」よりなとらえ方をされてる気がしていて、宗教って何かヤバいかめんどくさい、敬遠されるイメージがある。

 書きにくくて避けてきたテーマだけど、実際はじぶんの生活のベースにあるわけだから、ときどきふれていこうかと思う。

 うまれた実家は仏教で、幼稚園と大学もたまたま仏教系だった。日本にいたころは、むりやり勧誘された経験もあって、宗教アレルギーで新興宗教、仏教、キリスト教すべてに疑問をかんじていた。

 そんな自分がカナダで、クリスチャンの夫と結婚することになって、式の前に洗礼をうけることになった。息子2人もカナダで洗礼をうけて、上の子はカトリックスクールに通っている。

 このまえTVで、たまたま今のローマ法皇をテーマにした映画をみる機会があった。私はクリスチャンでも正教会の信者なので、カトリック教会のトップである法皇にあんまり関わりがない。

 だけど今のフランシス法皇は、ニュースで人となりや活動を見ている範囲で、感動させられることが多く、リスペクトしている。

 映画では、とにかく法皇の気さくで庶民的なところが描かれていて、そういえばとくに子どもたちへの愛情が深い方だったことを思い出した。

 フランシス法皇が訪問する先々で、沿道によく障害があったり病気のお子さんを連れたご両親がまっていて、その子供たち1人ひとりのために、治癒を祈っている姿がよく報道されていた。

 そのことを思いだして、ふと「法皇に手紙を出してみよう」とおもった。うちの4歳になるJJ。
自閉症で言語発達障害がある。療育に通いだしてから、情緒面がすごく安定してきて、よく笑ったり表情もゆたかになり、表現力がかなり上がってきている。

 さいきんは周囲とコミュニケーションがとれていない自分に気づきだしていて、ときどき鏡の前でひとりで口を動かしてみていたり、宇宙語でいっしょうけんめい何か話したり、訴えかけたりするようになった。

 療育学校でもいちばん力を入れているのが、JJが言語を通して「help」と言えるようになること。周囲に「いま自分は助けがひつようです」という意思表示ができるように、先生たちが頑張って下さっている。

 家でも療育学校のアドバイスどおり、ある動作をしながらシンプルで順をおった指示や、説明をしたり、helpという単語を使いながらJJをサポートしたりしている。

 JJ本人も、行くと吐いてしまうほど慣れなかった療育学校に、いまは毎日通うことで、彼なりにいっしょうけんめい成長しようとしている。

 療育学校ともデイケアとも、JJの進展について
連絡をとりあって、先生方はみんな彼の状況に理解を示してくれて、協力してくださっている。

 わたしも家でできることは、完璧ではないけど毎日できることを生活のなかで、コツコツやってきている。

 だけどJJはまだ助けを求めたり「おしっこ」「おなかすいた」「つかれた」生活に大切な言葉が出てこない。

 JJはきっといつかまたお話してくれる、と信じているけど「どうかがんばっているJJに、さらなる神さまのサポート、応援をお願いします」という手紙を、とくに子どものことを大事にして下さっている、いまこの世にいる「神の代理人」に出してみよう、と思う。

 バチカンには、日に何万通とそういう手紙が届くだろうけど、大事なのは願いを、希望を「書く」手紙を「出す」ことかなと思っている。



願いを放て。


祈りよ、届け。
 


いいなと思ったら応援しよう!

みゆま
人生どん底だけど、夢にむかって歩きつづけます。読んでくださってありがとう✨