やさぐれエッセイ-Deserve -ハグなき昭和
さいきんTwitterで、自分も悩んだ体験のある『不登校』についてある人とやりとりしてたら
子どもの感じる『不安』と『スキンシップ』の関係について思うところあったよね
ひとことで言うと
わたしは物心ついたときから、50才になるつい最近までずっと
『不安』に悩んできた
生きてる=不安
なにが、どうして
どういう理由で
じゃなくて生きてることじたい『不安』
生きる=不安
だったから不安から解放されたかったら
安心したかったら
生きるのやめるしかない、
っていうおかしな理論になり
この生きる恐怖から解放されたいな
とずっと思ってた。
何か行動を起こす時の動機、理由は
ぜんぶ不安からきていた
成績が落ちるの不安だから
勉強がんばる
宿題わすれたら怒られるの怖いから
宿題頑張ってやる
モチベーションがやる気とか向上心じゃなく
いつも追われてる感じ
強迫観念から頑張って生きてきた人生
兄弟でただ一人
おねしょが4年生くらいまで続いてたのも
日々の緊張からだと思う
経済的には全く心配なく育ってて
『なにがそんなに不安だったんだよ』
とツッコまれそうな
物質的には恵まれた子どもだったけど
内心の恐怖はずっと消えなかった
何をやっても頑張っても
勉強で結果出しても
大学出ても資格とっても留学しても
就職しても結婚しても出産しても
起業しても再就職しても
何してもどうしても消えなかった
わたしの不安の正体
それは
『自分は愛されないんじゃないか』
という不安
『生きてることをのぞまれてないんじゃないか』
『私がここにいることが迷惑なんじゃないか』
というぬぐえない恐怖。
じぶんが二児の親になってみて
さらに思うのは
それが事実だったかどうかは別として
幼少のころ
『じぶんは親に愛されてない』
『期待されなかった存在なんじゃないか』
深く信じこんでしまったのが原因
だと思っている
その理由のひとつが
私には2コ上の姉がいる。
彼女は長子で
元気で生まれてきただけで
でかした!と存在を無条件に認められた
ウチは田舎の本家で、自営業だったから
親も祖父母も
『次は跡取り(男の子)を!』と期待が高まる
1年後また懐妊
姉の時ちはちがい、母の胎内で暴れまくる胎児
当時は生まれる前に性別を確認できない時代
息子誕生の期待は高まった
このままいくと3月3日の
桃の節句に生まれそうだ
男の子の誕生日がひな祭りじゃかわいそうだ
というので急きょ母は産婦人科に入院
ぶじ3月2日に生まれたのが
次女のみゆま。
という話を
子ども時代なんども聞かされた
その後ウチには2人の弟が生まれたこともあり
親は笑いながらこの話をしたものだけど
私の潜在意識の中には
『わたしは期待はずれの子だった』
『親がのぞんでいたのは男の子だった』
というガッカリ感
じぶんは残念な子だった
親を失望させた
という何かが心に残った。
じっさい幼少時代の私は
姉にも両親にも祖母にも
親戚のおじおばの誰にも
ハマらなかった
わたしを『私だから』
ただかわいがってくれる人
が誰もいなかった
じっさいはいたのかもしれないけど
『私は愛されてる』という実感なく
漠然とした不安につつまれて成長した
もしあのころの私を
誰かがときどきだまって
ギュッと抱きしめてくれてたら
『みゆまは愛されてるよ』
って実感させてくれてたら
人生変わってたかな
って大人になって思う事がある。
自閉症の次男JJ
言葉でじぶんを表現できなくて
とつじょ感情がバクハツ
ときどきすごく悔しそうに
悲しそうに泣く事がある
その姿を見ると
まわりの誰にも理解されず
誰にも存在を求められていない
そう感じて孤独で不安がつのり
何かのひょうしに癇癪を起こして
泣き叫んでは
ますます家族からうとまれ
愛されなくなっていった
悲しい小さなみゆまの姿が重なる
周囲ではコントロールのきかない子どもを
もてあます50才のダメな母親に
嘲笑と冷笑がそそがれ
公共の場で家族として傷ついた
長男と夫の憤りと悲しみを感じる
そんなとき私は胸がいっぱいになって
床にはいつくばって泣くJJを
阿呆のように見つめ
誰にも理解されない小さな体を
ただ抱きしめる
親としてまちがってる
甘やかしすぎだ
だからこうなるんだ
でも私だけは何があっても
これからも
命ある限り
小さなみゆまの分も
だまってJJをギュッと抱きしめる