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sayonara,sayonara, ...sayonara.

三回も、言うのであります。くどいを越えて、もう一度。それはどこか暖かくて、さよならじゃないみたいな言い方で、「次」があるんですね、当然ですが、だってそれは各週の決まり文句。川の流れのように、せせらぎの唄のように、さよなら、さよなら、さよなら。眉毛が妙に大きく動いて、こどもはそういう非日常のディテールが大好物で、そのおじさんを見るのが奇妙に楽しいのであります。さよならぁ、にこにこ。

いつか「さよならだけが人生」って、言葉の切れ味の天才がスパッと定義してくれた、だから安心して言えます、さよなら、と。さよならを味わいましょう。さよならを食べて生きるのです。食べるということも、さよならです。美味しいものほど、(は、なくなっちゃった、)としょんぼりするのです。おいしいなだいすきだないつまでもいつまでも。いつまでもは食べれないなあ。食べきれないくらい、あるなあ。どぅふふふっ・・・(備蓄妄想)

なんてったって、ね、

さよならを言うのが遅すぎました、いまたくさん言ったからとて、それが時間の代わりになるわけではないもちろんだけど、さよなら、さよなら、さよなら。

知っていたんだけど、やはり関係なかったんだ、それが悲しかったときもあり、それが腹立たしいこともあり、だって何度だって確認してやっぱり関係ないのに一体全体なんなんだよ????!!!!、っていうことがひったすらあったんでむしろ腹立たしいことのほうが多すぎてそれが積もりすぎてもうどうなるんですか、だから人類のやることは、ぶつぶつ、そして言葉が役立たずすぎて、私にとってなにも言い表せてもいないのに、ということはわかってもらえなくても至極当然なのに、ああまた、どこかから失望が。流れていきます。流れ流れて、もはやむこうのあちゃらのどこぞの遠すぎて、なにまたその話、何百万回するの、と お年寄りのお気に入りの繰り言に辟易するまえに自分のことをふりかえりましょう、もう、どこだか奥深くに紛れたけど、数年前に、ほら、大掃除して、やっと捨てたの、だからもうないでしょ、ね、思い出したって、灰色だよ、灰色なの、なんでだろう、かぴかぴのヤモリの死体みたいにある日みつけたの、生きてたら可愛いのに、やっぱり干からびていたらコワイ、ヤモリ好きなのに、するっとすぐいなくなるから、その出会いも大事な感じがするのかな、なんて言ってみる感が我ながら腹立たしいわ、アンコール、ヤモリアンコール、ヤモリの記憶は生き生きしているのに、どうしてかぴかぴになってもはもはして崩れて消えていくんだろ、かぴかぴじゃあ踊れない、そんな干物の死に体といえばミイラみたいなもんだ、そういえばミイラひっぱり出してきて、そいつと相撲とって勝ち誇っていたやつ、アイツなんなんだ、当たり前だろ。いちいちやってみせるようなことか。笑止。こんの、タワケめが。てや。てや。なんぼのもんじゃ。どりゃあ。こどものあそび、禁じられた遊び、お遊び、げーむげーむらぶげーむ、じゅげむじゅげむじゅーげーむ、こどもととしよりは親和するけど、あれはしつこさが実に似ていて、もういいよ、かんべんしてよ、かんべんしていいかげんに!!というくらい、いつまでもいつまでも気が済むまでおんなじことをくりかえし、こちらは気が付くとの顔した狂人になっておりました、

さよなら、さよなら、さよなら。そう優しく三回唱えたら、ああ、そうだね、じゃあ、またあした、ってやっと気が付いてくれたのはいいけど、オメー、明日はねえんだよ。俺たちに明日はないっていうだろが、な?明日にさよならして、今日を生きなさい。さよなら、さよなら、さよなら。



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