文学旅行2.0へ向けて──あるいは誰も気にとめない◯◯──
というわけで『旅色』の連載をバージョンアップします。
ついに全裸になり……いや、文学旅行2.0になります。
連載をご存じの方にはお気づきの向きも多いと思いますが、文学旅行と言ってもこれまでは、いわば文学館旅行のような内容になっていました。いや、別にそれが悪いわけではありません。およそ100年ものあいだ多くの人に読み継がれてきた小説家とその名作ですから、文学旅行の定番コース(プラン)として提案するのは日本語を母国語とする者の務めであるし、地域活性化の面からも当然の企画だろう、と思います。
こうして振り返ってみると、どの小説家も単独の文学館が設立されている、まごうことなき文豪ですね。(あれ? となると、あの立派な明治の髭をたくわえた傲岸な写真ばかり遺した先生が抜けていませんか、と思われた方、どうか何も言わず、その鋭さでお察しください。かの御方施設からは、当方の取材伺いに対するお返事すらいただけていないのであります)
……あっ。いやいや、ここは毒を吐く場所ではありませんでした。すみません。
名作も100年前となれば、当時の時代背景を勉強しないと深く読み込めないのではないか、と敬遠する気持ちが先に立つこともあるでしょう。乱暴なことを言いますと、近代文学の古典は、中高生はともかく、ある程度の大人でも昔に読んだ(触れた)記憶がウッスラある程度だったり、常識としてタイトルが頭にあって、多少の勘違いはあるかもしれないけれど内容も大体は分かっているつもりでいる、くらいの方が大半ではないでしょうか。わたしだって、実際に読んだ古典の少なさは人後に落ちない自負がありますから。
そうした、いわば普通の人が、わたしたちの活動に楽しさを感じ、体験をしに出掛けてみようか、一緒に読書してみようかと心を動かすことがあれば、NPOとしてこれ以上の成果はありません。その意味では、昭和の小説家を含め、まだまだ取り上げないといけない文豪がたくさんおられます。個人的な思いを言えば、高見順をめぐる旅を東京・浅草を舞台にして、いつか必ずご提案したいと考えています。
好奇心に従って未知の旅へ
さて、前段で、当然のように「取り上げないといけない」と書いてしまいました。そのことでもわかるように、愉しみだったはずの活動が併し、いつの間にか義務のようになってしまっては、自由でいたいと始めた活動やネットマガジンの連載はどこかで別の意味を持ってしまいかねません。いや、別に持ってもいいのですが、それでは仲間たちと考えた当初の理念──好奇心に従って未知の旅へ出よう──から少し距離ができてしまうのではないか、そんなふうにも感じるようになった頃、ちょうど連載10回『川端康成プラン』公開を迎えることになったのです。
区切りが良いし、今が次の段階へ進む好機なのかな、と考えました。
客観的には、これまでと何ら変わらぬように見えるかもしれません。あるいは誰も気にとめない挑戦なのかもしれません。ですが、これからの活動は、わたしたちNPOの存在理由=本質を問うものになるだろうと思っています。いや、まぁ、そんな、言葉から受けるほど重いものでもないんですけどね。……ともあれ、本質的なチャレンジがいつもそうであるように、ほんの少しの量の、勇気が必要なのも確かでして。
勇気というと、どなたの言葉だったか、こんな箴言を思い出します。
「根拠のない勇気は只の蛮勇でしかない」
文学旅行2.0へ──わたしたちの根拠は、以下にあります。
ネタバレをしないこと
そこに「創意」があること
これから、現役バリバリの小説家と作品をテーマに、その世界観を体験する旅行プランを提案していきます。豊かな人生時間を文学旅行と共に。