恐怖が木霊するとき【#ショートショート】
僕は小さなころから怖い物知らずだった。
知らない人には平気で声をかけるし、見たこともない虫も素手で捕まえられる。お化け屋敷にも一人で入れるし、ホラー映画も好き好んで観ていた。
学校行事などの肝試しも、驚かす側が拍子抜けするほどに僕は驚かない。リアクションが薄いといわれればそうなのかもしれないが、人より特別とは思ったことはなかった。
そんな僕がたった一度だけ、恐怖を覚え、脳裏に焼き付いている記憶がある。
小学生のころだ。僕が学校から帰宅すると、一軒家である我が家の様子がいつもと違った。だからといって、僕はそれに別段驚きもせず、持っていた合い鍵で家の中に入る。
様子が違ったのは、僕の両親が結婚十周年のお祝いで、今朝から海外旅行に出かけているためだった。灯りはついておらず、家の中は薄暗かった。
「ただいま」と小さく声をかけても当然返事はない。僕はリビングには向かわず、そのまま二階にある自分の部屋に入ると、ベッド上に横になった。
普段なら、お母さんがキッチンで夕食の準備をしてくれているはず。そしてしばらくすると玄関から父親が帰ってくる。そして家族でご飯を食べる。それが習慣であり、なにげない日常だ。
だから今日から数日間は、自分でご飯を用意しなくてはならない。レトルト食品を買い込んであったので、準備に苦労することはないが、自分で全てをこなさなくてはならないことが面倒だった。
しかしお腹は空く。しばらくしてベッドから立ち上がり、自分の部屋を出ると、リビングにある固定電話が幼い子どもの泣き声のように鳴った。
リビングに向かって階段を降りている途中で、ちょうど音が途切れた。誰からだったのだろうと、固定電話のディスプレイを覗いたのだが、すでに暗くなっていてわからなかった。
誰かの悪戯か間違い電話かのどちらかだろうか。あまり気に留めることなく僕はキッチンに向う。すると冷蔵庫に手をかけたところで、再び電話が鳴り出した。今度はしっかりとディスプレイを確認すると、そこには《非通知》と表示されていた。
僕は電話に出るべきか迷ったのだが、気づいたときには受話器を握りしめていた。
「……もしもし」
受話器の向こう側からは何も聞こえない。その厭な間が数秒間続いた刹那、耳馴染みのある声が聞こえてきて、僕の緊張の糸が解れた。
「もしもし、修太。お母さんだけど」
「なんだ、お母さんか。なに、どうかしたの?」
僕の問いに、お母さんはすぐに答えない。その声色は、僕に少しの違和感を与えた。そしてお母さんは言葉を選ぶようにゆっくり答えた。
「あのね。修太に言っておかなくちゃいけないことがあるの」
「え、なに?」
「……実は、お父さんとお母さん、もうすぐ死ぬの」
「は?」
「――おい」
受話器に向こう側から、お母さんではなく別の人間の低い声が微かに耳に届いた。それと同時に通話が途切れた。規則的に流れる電子音が、僕の鼓動を破調させる。
ゆっくりと受話器を置くと、家中が静寂に包まれた。
あれは恐らくお父さんの声だった。
どういうこと?
想像が追いつかない。
身体の内側から、激しいほどの鼓動が聞こえてくる。思わず両手で耳を塞ぐが、意味がない。
頭が揺れ、吐き気を催した。
それでも鼓動は鳴り止まない。もはや叫びのようだった。
本体からコードが垂れ、宙にぶら下がった受話器が揺れている。一定間隔の電子音が微かに鳴っていたが、次第に何も聞こえなくなった。