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創作が学びになると信じたい【#私の学び直し #創作エッセイ】
何かを学ぶとき、私は幼いころは本から知識を得ていた。
それは勉強熱心だったというわけではなく、みんな教科書から学んでいたという話。
幼少期は絵本を読んで、小学生からは教科書、中学生のころに漫画や小説に触れるようになり、大学生のころにはネットを漁るようになって今に至る。
今では小学生でもネットを自由に扱えるようになっているから、きっと本から学ぶ時間は減っているのかもしれない。それでも資格の勉強のときは参考書を使っていたりもするから、まだ本から学べることも多いはず。
数年前、資格の勉強をしたとき、書店で分厚い参考書を買った。古の勉強法かもしれないが、付箋を使ったり赤いシートで用語を覚える。久しぶりに受験勉強をしている気分だった。
ただ、少し違ったのは過去問を解く方法が、パソコンを使いHPで回答することだった。テストの結果もすぐに出るし、何より無料でできる。
便利な世の中といえば簡単だけど、自分ではそれが身になっているのか不明瞭だった。でも、実際の試験もパソコンを使って回答する形式。郷には入れば郷に従え精神で、勉強した。
結果は不合格。正直、自信はまったくなかったし、学んでいても少し疑問を抱えていた。それは内容が難しいからというより、そもそも学んでいて自分の成長を感じなかったし、楽しくもなかった。だから落ちて当然、受かっていたらラッキーぐらいにしか考えていなかったのだ。
受験の時もそうだ。行きたい学校があったからではなく、親に大学に行ったほうが良いと進められたから。周りがみんな大学に行っていたから。そんな理由で勉強していた。だから第一志望には受からなかった。
改めて、自分が何かを学びたいと考えて本を手にするとき、私は好奇心が大切なんだと思った。
仕事のためとか、将来のためとか、漠然としたものではなく、学びたいという欲求が必要。
その考えから、私は小説を好んで読んでいた。自分が好きなシリーズや作家さんの新作が発売されればすぐに買って読んだ。そこから何を学んだかと言われると、言葉にするのは難しい。
小説もひとつの娯楽であり、教科書や参考書とは違う。人生の何かを学べるという人もいるかもしれないが、要は人生の疑似体験。映画や漫画も似ているかもしれないが、物語は誰かの人生の疑似体験をしているかのような感覚で捉えている。
平凡な人生にスパイスを与えてくれるような体験。現実では味わえないような興奮。それが物語にはある。
そして特に小説で好きなのは、登場人物の心理描写が色濃く描かれている作品。きっと普通に生きていただけでは、想像も妄想もできないような心理を学べる。
よく化学の実験や災害などの体験教室の施設があるが、小説は人の心を体験できる施設のような存在でもあるような気がする。
活字を追っていく中で文章を反芻し、登場人物の自分自身を重ねてみる。もちろん理解できないことや何度読んでも意味がわからないこともある。でもそれは、まだ自分が知らないだけ、知るための能力がないだけで、そういった経験は、学校の教科書を読んでいてもあるはず。
過去の経験から学ぶことは多い。失敗から学んで成功に繋げる。そういったエピソードは何度も聞いたことがある。
私は小説(物語)を通して、体験・経験して学ぶことに好奇心が湧く。それに気づいたとき、自分からも学びを発信したいと考えた。
だから、今も創作を続けているのかもしれない。