『大根役者』は『持ち味役者』
大根役者にまつわる、結構有名な名言がある。
下手な役者が主役や目立つ役、身分の高い役を演じたり、上手な役者が脇役や目立たない役、身分の低い役を演じたりするのだから、たとえ自分が不遇な人生を送ったとしても、それはそういう配役にすぎないのだと思って、あまり悲観せず、ただ一生懸命生きて、自分の役を演じ切れば、それでよいのである。というものである。
ぶっちゃけよう。
私はそんな配役は嫌だ。
実際の舞台というのは期間限定だ。
数ヶ月に渡って演じ続けても、24時間365日、そんな役を演じ続けるわけじゃない。
それを、舞台の終わり=人生の終わり
という状況で、『乞食役』なんて、たまったもんじゃない。
だからと言って、みんながみんな、人生において、『殿様役』なんて、無茶があるのも事実である。
そんな私は、こちらの方が、ずっとしっくりくる。
人生、そんな上手に立ち回れなければ、『殿様役』なんて割り振られない大根役者のが多数派ではないか?
だがしかし、だからこそ、もともとの『持ち味』が活きてくる。
いや、『持ち味』以外、使いようがない。
そもそもの、『大根役者』の由来として、いくつかある諸説の中のひとつに、
大根は『どのように食べても腹を壊さない』ので、下手で「当たらない」ことと掛けて、「当たらない役者」として、大根役者となったらしいが、
最強じゃない?
しかも、長〜い時間をかけて味が沁みた大根、
最強じゃない?
人生、酸いも甘いも染み込ませた『大根役者』もとい『持ち味役者』。
そっちの方が、断然、人間らしくないですか?