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それが何になり得るか

こんにちは。
昨日ネトフリを見ながら、シールをペタペタしておりました。
『デザインあ』を見ていたのだけれど、どこかこういうことに近いなーと。


所謂モノの見方のお話だと思うのです。
同じものを見つめていても、そこから何を観てとれるかどうか。

デッサンとかその一歩だったかも。
最初全然書けないのです。同じもの見てるのに、やはりそこには上手い下手が出てくるわけで。それはその人の書く技術というより、見る力のほうだと思ったり。デッサンはモノを見る力を鍛える入り口だったのかなと感じています。


「デザインあ」はデザイン教育として、直感的に「こんな見方あるよー面白いでしょー」って、すごく分かりやすく訴えてきます。
本当によく出来てるなーと(何目線、、)
だから人気なんだろうな。
気付き、モノの見方の一例をまとめた感じ。


このシール達もそんな観察の一部かと感じています。
これのどこが面白いの?と思われた方。そうなのです。私の伝える力がよわよわです。そこは訓練中なので、これからに乞うご期待?

伝わりやすさの精度は雲泥の差かもしれないけれど、やってる事は同じだと思います。

で、です。
私、こういう事は大好きなのです。

伝えるための習作や訓練は必要ですが。そこは一度脇に置きます笑

で、ですよ(2回目)
こういう「モノを見る」「観察する」「訳の分からないスケッチをかく」のは大好きなのですが、問題はそれが【何になり得るか】ということ。
ここが最近の私はスコンと抜けていたなと思ったのです。

考えていても、スケッチしていても、なぜカタチが生まれてこないのか。
答えはズバリここだったのではと思いました。
この「何になり得るか」という言葉は、わたしの大好きなブルーノムナーリ大先生が教えてくれた言葉です。

著名な心理学者、エドワード・デ・ボノ氏は、フェルトネッリ社から出版した著作『15日間で学ぶ思考法』のなかで次のように述べている。「重要なのは、物事をそうあるものとして捉えるだけでなく、こうあり得るかもしれないと考えることである。一般に、ある一つの事柄でも、多くの観点から検討することができ、ときには、分かりやすいとはいえない物の見方が、より有益なものを引き出す。そうあるものとされる事柄にぶつかったとき、他にはどうあり得るだろうかと掘り下げることは、どんな場合にも有効な手段である」。わたしはこれに次のように付け加えたい、それが何になり得るだろうか、あるいは、それが他には何の役に立つだろうか、と検討すること、と。

ブルーノ・ムナーリ、萱野 有美訳「モノからモノが生まれる」みすず書房、2007年


観察するのはとても好きですが、それはもう強みだと勝手に思っているので、観察して見つけたものが「何になり得るか」をこれから携えていこうと思います。あと習作ね。これも忘れずに。

私は大切なことがスコンと抜けてしまいがちなので、常に意識できるよう「それが何になり得るのか」スタンプを作りました。

これできっと忘れない笑


最後まで読んでいただきありがとうございます。


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