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演劇と心の健康
『疾走』の公演が終わって、半月経った。
この半月を言い表すならば、静かに波打つブルー。ちょうど写真のように。
なんでだろう。
確かに今作の創作はいつになく苦しくて、「私はもう脚本を書く孤独にこれ以上耐えられそうにない」だとか「もう演劇なんて大変なこと二度としてやるもんか」だとか、あらゆる種類のネガティブな感情を味わい尽くした上、本番が始まってからも毎ステージ吐き気を催すくらい緊張していた。この作品がお客さんにどう受け取られるのか、正直怖かった。
でもだからこそ、お客さんから頂いた(アンケートに書いていただいた)嬉しい言葉の数々に、本当に救われるような思いを抱いた。
なのに、なんでだろう。
ブルーの正体の掴めないまま半月過ぎ去り、先日、X上で麻布競馬場さんのこんな投稿を目にした。
大学生と話していると「少しでも誰かを批判するような文章と出くわした時点で『頑張ってる人に対する冷笑だ!』と拒否反応が出てそれ以上その本を読めなくなってしまう」という声が名門大学の学生の間でもかなり多いので批評というジャンルは早晩死んでしまうかもしれないなと思った
— 麻布競馬場 (@63cities) October 14, 2024
私は演劇や映画、小説などジャンルを問わず作品を鑑賞するときには、むしろ批評的な目線を持って観て(読んで)、思考の取っ掛かりにしたり、何かしら自分に還元できるものを見つけたりすることを心掛けているので、こんな風に感じたことはなかった。真っ当な批評と冷笑は違う、それは文章を読めば分かる。
・・・でも。
うわぁ、逆ならあるかも、と思った。
「何ヶ月もかけて、自分の生活の全てを捧げて身と心を削りに削って作った作品だから、なんかもう、お褒めの言葉をふんだんに含む感想以外、いかなるネガティブな言葉も心が受け付けてくれないかも…」
という気持ち。とても身に覚えがある。
白状するならば、私は今回の公演でこの精神状態に一歩踏み込んだような感じになってしまった。
そして、私が公演が終わってからブルーな気持ちで日々をやり過ごしている原因の一つも、ここにあったのだと気がついた。
真っ当な批評なのに受け入れられない、表面的には飲み込んだつもりでもどこか納得できなかったり、落ち込みすぎたり、苛立ったりしてしまう。
個人的に親交のないお客さんの批評(やネガティブな内容を含む感想)であれば、幸いにもその奥に潜む感情や意図をつぶさに感じ取ることはできないから、まだ大丈夫。だけども、先輩後輩お友達など親交のある人からのそれは、例え真っ当なものであったとしても、その言葉の奥に潜むある種の失望、そして時には「ふっこんな作品…」というような冷笑的なニュアンス(それは私の勝手な想像である可能性も高い)さえも感じ取ってしまって、心にもやがかかってしまう。
一つ注釈を入れておくならば、公演アンケートやSNS上で目にする感想、私が直接受け取る感想の数々は、作品を観たときに湧き上がってきた個人的な感情と不可分なものである場合が多いので、そこに実際に冷笑的なニュアンスが含まれていることは、ある。また、議論の余地のある批評というのも、もちろんある。それでも基本的には、作品を観てお客さんがそう感じたならば、どんなものであれその気持ちを否定すべきではないし、どんな感想をも抱くことが出来ることが豊かさなんじゃないの?というスタンスでいるので、あらゆる感想をしかと受け取りたいと思っている。
でも、それが出来ない。心に触れるような感想がたくさんあるにも関わらず、ごく少数のネガティブな言葉に心を支配されてしまう。ネガティブな言葉に直面したときに、作品関わる全てを、そして自分自身の人格をも否定されたような気持になって、必要以上にダメージを受けてしまう。
今回はほんのちょっとだけその気を帯びていた。
結局のところそれは、作品を作る精神的消耗が大きすぎて、バランスが取れていない状態なんだろうなと思う。
全てのお客さんから賞賛の言葉を受け取ってやっと正常な心を取り戻せるような状態なのであれば、それは作品を作るプロセスが不健康で、過剰に負担が掛かり過ぎている。
だから、いつまでもブルーな気持ちを引きずってないで、まずはその態勢を見直すことから始めなきゃなって思った。
小林賢太郎が「作品を作る時は辛くて辛くてしょうがないけど、それが実際に形になったときに喜びがちょっとだけ上回る。だから創作を続けていられる」と言っていたように(記憶の片隅にあった言葉を引っ張り出してきたので、かなり曖昧であることご容赦ください)、作品を作って得られる喜び大きく余りあるくらいじゃないと、やってらんないもんね。
そして、辛くて辛くてたまらない創作を経た末に余りある喜びを得られる演劇というもののジェットコースター的な揺さぶりに病みつきになっているのもまた事実。もはやこのくらいの揺さぶりがないと満足できない身体になっているのかもしれない。
偉そうな口ぶりでつらつらと書いてしまいましたが、実際に時間を割いて、足を運んで、お金を払って公演を観に来てくださったお客さんには、本当に本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。自分の作品を見てくれた人が感情や思考に出合い直すというその事実が尊いのです。
みなさんが観に来てくださるから、私はどうにかこうにかやってられています。