ながおあいり

う潮

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最近の記事

演劇と心の健康

『疾走』の公演が終わって、半月経った。 この半月を言い表すならば、静かに波打つブルー。ちょうど写真のように。 なんでだろう。 確かに今作の創作はいつになく苦しくて、「私はもう脚本を書く孤独にこれ以上耐えられそうにない」だとか「もう演劇なんて大変なこと二度としてやるもんか」だとか、あらゆる種類のネガティブな感情を味わい尽くした上、本番が始まってからも毎ステージ吐き気を催すくらい緊張していた。この作品がお客さんにどう受け取られるのか、正直怖かった。 でもだからこそ、お客さんか

    • いつだって誰かを傷つけてきた

      う潮『疾走』小屋入り前最後の稽古休みの日に、『ぼくのお日さま』を見た。 奥山監督作品は前作『僕はイエス様が嫌い』を見て、子どもの目にうつる世界の質感の捉え方や、作品を貫く静けさが好みで、情報解禁された時から待ちわびていた本作。 自分の公演が佳境に差し掛かっている時に別の作品を見るのもなんだかなぁと、変に影響されても嫌だしなぁという気持ちはありつつ、いろんな人の感想や評判が目に入る前に見たくて、で、見に行ったんです。 ※以下、作品の内容を含む記述なのでお気をつけくださいませ。

      • う潮『疾走』ご挨拶

        う潮 新作公演『疾走』上演にあたって 【ごあいさつ】 う潮主宰のながおあいりと申します。 1年ぶりの新作公演をやります。う潮としては2回目の公演です。 この1年間は演劇をやっている自分自身のことや将来のことを絶えず問われ、選択を迫られた時期でした。 そんな中で、演劇を作りたくてたまらないような、だけどやっぱり演劇を作りたくないような、シーソーみたいに気持ちが揺さぶられる毎日を過ごしてきました。 演劇における私自身の興味関心は、自分の半径1ートル以内の関係性を描くことだと

        • ルックバックと金魚とピスコ

          映画『ルックバック』と、長久允監督の『そうして私たちはプールに金魚を、』『蟹から生まれたピスコの恋』二本立てを観た。 『ルックバック』に関しては、前評判が良かったから結構楽しみに観に行ったけど、なんだか純度が高すぎてハマりきれなかったなぁという印象。 (長久監督の上映アフタートークでルックバックの話になった時に、長久監督は『寄り道がなかった』って表現してたけど、まさにそういう感じ。) 不協和音をそぎ落としている感じとか、そこにあるだけで尊い感情が描かれている感じとか、総じて

        演劇と心の健康

          梅雨に沈められ

          忙しさや体調不良にかまけて最短距離の娯楽ばかり摂取していると、思考が停滞する。 何かを考えようとしても、思考が深まらない。 考えることに面白みを感じない。 考えても、どこにも辿り着かない。 前提を必要とせず(もしくはその前提がすでに内面化されているような)、すぐに旨味を感じられるコンテンツしか受け入れられない身体になる。 そうこうしている間に、眠気が私を覆って今日という日がぽっかりと抜けたまま終わる。 これは、あれか。 いわゆる「『花束みたいな恋をした』の菅田将暉パズド

          梅雨に沈められ

          型にはめること、括ること。

          武田砂鉄さんの『わかりやすさの罪』という本を読んでいる。 その中に、笑いに関する分かりやすさとその罪性というテーマで、明石家さんまさんの番組を例にあげて記述している章があった。 ちなみに今、手元に本がない状態でこの文章を書いているので、本の内容に関する記述は多少の正確さを欠くかもしれないが、どうかご容赦いただきたい。 砂鉄氏の論旨はこうである。 さんま御殿では、番組MCであるさんまさんが用意した笑いのパターンに上手く乗っかれるか(=さんまさんに「ハマれるか」)どうかという

          型にはめること、括ること。

          未知との遭遇

          私は、限りなく宇宙人に近い人間に出会ったことがある。 それは、とある日のバイトでのこと。 バイトの詳細はここでは曖昧にしておくが、接客業をイメージしてもらって構わない。 私がレジを担当していた時間に、一人の女性が私のもとへやって来て、俯きがちにゴニョゴニョと何やら言葉を発した。 見たところ60代。その年代特有の淡い色の木綿生地の服を着ており、杖をついている。眼鏡をかけていて、髪は乾燥したぱさぱさとした手触りが一目で伝わってくるようだった。 「はい…?」 女性の言葉が聞き

          書くことの喜び、その原体験・続

          中学2年生の国語の授業のこと。 その年の国語の授業を担当していた五味先生は、少々ぶっきらぼうで包み隠さぬ物言いをするタイプの人だった。中学生が親しみを持てるほどの若さではないが、キャリアの長い女性教師にありがちなお節介さもない。むしろ生徒とは常に一線を引いて接しているような、決してプライベートに立ち入らせないような雰囲気を纏っていた。生徒からの人気はあまりなかったように思う。そもそも中学2年生に人気のある先生など、忘れ物に寛容か、授業中の雑談が多いか、生徒からのいじりを引き

          書くことの喜び、その原体験・続

          書くことの喜び、その原体験

          文章を書くことで喜びを感じた最初の記憶は、小学校の頃に聞いていたラジオの掲示板だったと思う。 私は小学校から中学校にかけて、SCHOOL OF LOCK!の熱心なリスナーだった。この番組は、中高生をメインリスナーとする学生のためのラジオ番組で、現在も平日の22時から24時にTOKYO FMで放送されている。そもそもこの番組を聞き始めたきっかけは、大好きだったSEKAI NO OWARIが「アーティストLocks!」なる、ミュージシャンが曜日ごとに持つ30分程度のコーナーを担

          書くことの喜び、その原体験