ルックバックと金魚とピスコ
映画『ルックバック』と、長久允監督の『そうして私たちはプールに金魚を、』『蟹から生まれたピスコの恋』二本立てを観た。
『ルックバック』に関しては、前評判が良かったから結構楽しみに観に行ったけど、なんだか純度が高すぎてハマりきれなかったなぁという印象。
(長久監督の上映アフタートークでルックバックの話になった時に、長久監督は『寄り道がなかった』って表現してたけど、まさにそういう感じ。)
不協和音をそぎ落としている感じとか、そこにあるだけで尊い感情が描かれている感じとか、総じて、思い出を愛でてるみたいな作品だなぁって思った。おそらく、心が弱っている時に見たらめちゃくちゃ刺さるんだと思う。
画と河合優実ちゃんの声がすごく素敵だった。
で、そこから渋谷の映画館をハシゴして、ヒューマックスシネマからシネクイントへ。
長久監督の作品はWOWOWでやってたFM999をつまみ見たくらいだけど、その時のビジュアル・テンポ感・言語感覚の独自性がけっこう強く印象に残っていた。
ハイバイの『ある女』や『霊感少女ヒドミ』におけるムーチョ村松さんの映像×岩井さんのテキストの演出を見た時のワクワク感を駆り立てられる感じに近い感覚というか。
そういえば、舞台『消えちゃう病とタイムバンカー The Vanishing Girl &The Time Banker』のチケットも取ってたなぁ。今改めて公演HPを見返してみると、出演者の布陣がかなり魅力的。またやってほしい。
脱線すると、2019年に観た『世界は一人』があまりにも好きだった影響で、このあたりの時期は「型に縛られていない系の、そしてミュージシャンとタッグを組む系の音楽劇・ミュージカル」にかなり期待していた。ねもしゅーの『今、出来る、精一杯』(音楽は清竜人)とか、コロナで中止になってしまって結局観れなかったけどはえぎわの『お化けの進くん』(音楽はHei Tanakaの田中馨さん)とか。だから『消えちゃう病~』もその流れで結構ワクワクしてたんだよなぁ。
そういう意味では音楽劇への憧れは今でもあって、私もいつか作ってみたいなぁって思ってる。最近はずっと次回公演の脚本を書いていて、これは題材としてバンドを組んでいる高校生を扱った作品なんだけれど、「直接的に音楽を用いずに、音楽(を聴くこと、奏でること)が作り出す情動をいかに演出するか」みたいな問いがずっと中心にある。きっと稽古しながら模索していくことになると思う。「ムードや情動を起点に演劇を作ることは可能なのか、その是非」みたいなことも最近ずっと考えているので改めてnoteに纏めたい。
で、長久監督の作品はどちらもすごく良かった。
両方とも30分弱のかなり短い作品だったけど、映画館で観ることでの満足度がかなり高かった。ここに関してはアフタートークで長久監督も「映画館で観たときのインパクトを最大化するような作りにしている」(若干ニュアンス違うかも)って言ってたので狙い通りなのかも。
ポップでスピード感があって、エキセントリックさと若干のダークネスがある感じって言ったらいいのかな。ともすれば「ネオっぽい雰囲気」に終始してしまいそうなくらい縦横無尽な演出なんだけど、その画を通じて映し出される感情ひとつひとつは地に足がついていて説得力があるもんだから、作品全体もすごく切実に感じられる。社会への怒りを起点に作品を作ってるって言ってたから、それもあるんだろうなぁ。表出のポップさに誤魔化されない中身の濃さがあるというか。
TaiTan氏が質問していた通り、ビジュアル先行の人なのかと思っていたら、言葉先行の作品作りって言ってたのは結構意外だった。トゲトゲTV発の『蟹から生まれたピスコの恋』はタイトル通り、蟹と人間の子であるピスコの話なんだけれど、取っつきにくさを感じないどころかこれまた地に足のついた感情が描かれてるなぁって思った。ファンタジーと現実味をどういうバランス感で扱いながら作品を作っているのか、とても気になる。
『そうして私たちはプールに金魚を、』のラストシーンの話が印象的だった。主人公がカメラに向かって「これはサービスショットです」(若干違うかも!)って言って、濡れた制服のシャツからブラ紐が透ける後姿の画で終わるのだけど、「今だったらこのシーンは入れない」と。意図としては、中学生である彼女たちに対して大人が求める"エモさ"に中指を立てるという意味での「サービスショットです」なわけなんだけど、そういった意図があった上でも、このショットを撮ることの加害性を自覚するようになり今では後悔しているのだそう。表現の在り方は常にアップデートされて然るべきなので、そういった意味では自身の過去作を顧みて反省する姿勢はすごく誠実だなって思った。
『そうして私たちはプールに金魚を、』や、記憶に新しいものだと島口大樹さんの小説『鳥がぼくらは祈り、』などで描かれる「退屈で窮屈な地元での学生時代」って、東京で生まれ育って中高一貫校に行っていた私にとってはある種フィクションというか、ファンタジーでさえある。そういう設定への共感を欠いていながらもなおこういう作品に心揺さぶられるのは、その肖像が描き出す「閉塞感」や「焦燥感」には身に覚えがあって知らぬ間に共鳴しているからなんだろうな。みんな通る道なのかなぁ。
TaiTan氏が『そうして私たちは~』を公開当時に観て、長久監督にサインを貰ったパンフレットをサークル内で回し読みして作品を布教していた話、良かった。
アフタートークの長久監督、作風からは想像できないくらい物腰が柔らくて穏やかで、かつ自分の作品をちゃんと言葉で語れるのが格好良いなって思った。オリザさんも「日本では語らないことが美徳とされがちだけど、海外では自分の作品をしっかり語れないといけない」って言ってたし、私ももじもじしてる場合じゃない。
良い息抜きになりました。