【完全版・短歌の詠みかた講座】短歌という心のスクリーンに映す見られないほど美しい空
短歌には人の心を動かす力がある。そう信じてきてもう5年は経ったみたいだ。
まあ、短歌を詠むようになってからはまだ2年半ほどしか経っていないのだが。
私には様々な趣味がある。短歌、けん玉、ラジオ、文房具、…。その中で、短歌こそが最も始めやすく高尚で、良い意味で短絡的に生き様を表現できるものであると思っている。
私は心のどこかで何か1つでも本格的に楽器を奏でられればよかったなーなんて思うことがよくあるのだが、その度に「私には短"歌"という"歌"があるから一旦はいいや」と言い聞かせている(もうじき誤魔化しが効かなくなりそうだが)。まあつまり、私にとっての短歌とは例えばミュージシャンにとっての曲のように、もはや自分が生きるために無くてはならないものに近いのだ。
そこで、ミュージシャンが自分の曲のコードや譜面を公開するように、私も私なりの短歌づくりにおける「幹」のようなものを公開することにした。
しかし、あくまで枝葉に当たるネタの部分は自分たちで見つけてね、というスタンスにして、短歌の基本的な作り方だけを公開しようと思う。なぜかというと、枝葉を見つける作業こそが断然トップで面白いからだ。
①まずは定型を守る!
→五七五七七
まず最初に短歌の基本的なルールを勉強しておこう…とは言ってもたった1つしか無い。
五七五七七
このリズムさえ守れば良いのだ。俳句と違って季語は必要無いのがミソである(入れたければ季語を入れても構わないが、短歌においてそれは季語ではなく季節・行事の象徴のようなものとなる)。
俳句と異なる点をもう1つ挙げるとすると、俳句よりも頻繁に五七五七七のリズムが崩されるというところだ。これにより、歌人は俳人より余計に自我と自己主張が強いとも言えるのかもしれない。じょ、冗談だ。
しかしそれを知った途端すぐに定型を崩そうとする輩(=昔の私)がいるのだが、詠みたての頃は定型(五七五七七)を守るのが無難である。下手にリズムを崩しても、結果駄作になることがほとんどだ。丁度、
という名言がある。これを心に留めておきたい。
しかし、完全に定型を守れと言っているのではない。破調の歌も面白いので、ちょっと実力がついてきたなという辺りで挑戦する価値はあるだろう。
破調でよく見る音数には、
五八五七七、六七五七七、七七五七七
などがある。ここら辺は失敗しにくいからオススメだ。ちなみに字余りよりも字足らずの方が遥かに難しいので、まずは字余りの歌から詠むことをオススメする。
リズムが無茶苦茶な破調でも、結果的に31音(5+7+5+7+7)前後の音数になれば短歌として認められる。下に例として、青松輝さん(YouTuberの「ベテランち」さんです)・穂村弘さん(サバンナの象のうんこの人です)の著名な歌を示しておく。このお二方は破調の歌をよく詠まれることで有名だ。
②感情・事象の具体化をしよう!
③に行く前の下準備をしよう。ここからは紙とペンを用意してほしい。スマホのメモ機能などで詠む人もいるが、私は短歌制作のプロセスを残しておいたら他の歌に再利用できたこともあるので、紙に書いた方が良いと思っている。
まず、詠みたいテーマ・雰囲気・状況といった大きなイメージを考える。そして、それに最も合った言葉をドカンと紙の真ん中に書くのだ。後はその周りにそこから連想したものを書き、さらにそれから連想されるものを繋げていくと、いずれ自分の脳の一部が紙面上に表現される。ちなみにこれは、「マインドマップ」と呼ばれる図だ。
例として、今の季節は一応秋であるので「秋」から広がるマインドマップを描いてみた。参考にしてみてほしい。
しかしこの際、なにも上図のように綺麗にまとめる必要は無い。ここで大事なのは自分の脳内を具体化するということであるからだ。
さて、ここまでできたらいよいよ具体的に短歌をつくっていこう。慣れたら②の作業はカットしても大丈夫なのだが、②で下準備をした場合だと何もせずに③から入る場合よりも幾分楽であるから、最初のうちはやっておくのが吉だ。
③その短歌での「主人公」を決める!
ここで言う「主人公」が、冒頭で述べた「枝葉」に当たる。主人公なのに下っ端扱いしているみたいでちょっと変だが、これは間違いではない。主人公は、各自が各歌に割り当てていくべきものなのだ。他人の歌の主人公を私が適当に選ぶことほど野暮ったいことは無いので、各自で自分のセンスにビビッときたものを選んでみてほしい。
具体的に話を進めたいので、私の作品を紹介する。作品を宣伝したいわけではない。もう一度言う、決して宣伝したいわけではない。
なお、山本繁茂は私のペンネームである。嘲笑するのはやめ給え。
この歌での「主人公」は、紛れもなく「エンディングノート」である。結句(五七五七「七」)の「エンディングノート」をそれまでの五七五七が修飾しているという構図で、実際私はこの歌を結句からつくった。
このように、まず主人公を決めるとそれを中心に話を展開しやすいため良さげである。ポイントとしては、なるべく限定的でなく普遍的な物・人を主人公に取ると展開しやすいのだが、そこは正直好みなのでやりやすいようにしてもらうのがよろしいだろう。
また、2つの物を主人公とする手法もメジャーである(「取り合わせ」という手法です)。
短歌では全てを叙述的に説明していくのではなく、情景の「核」となる部分だけに焦点を当てて語るようにすると、その周りの景色を読者に想像させることができる。その、読者の想像の素となる「核」こそが「主人公」なのだ。
ここの主人公選びのセンスには作者の技量がモロに出る。存分に楽しむと同時に十分に気をつけよう。
勿論、この先短歌を詠んでいく上で最初に決めた主人公がしっくりこなくなることもある。そのような時は、後から主人公を変えるということも選択肢に入れてみよう。主人公を上手に使おうとすることに固執しすぎないことが、歌詠みを楽しむ秘訣の1つだ。
④31音(五七五七七)を完成させる!
さて、短歌を完成させてみよう。
ここでは、不器用な形でも良いのでとりあえず五七五七七にして、短歌としての体裁を完成させる。
これより先はリアリティが欲しいので、実際に②で作ったマインドマップを基に私が短歌をつくり、さらにそれの推敲までしてみようと思う。
このマインドマップを描いてから一晩を越えた私が目をつけたのは、「紅葉」→「頬」「朝焼け」
だ。
私はこれらからなんとなく情景を浮かばせてみて、とりあえず思いつくままに短歌をつくってみた。
この時点では紛れも無く駄作である。
だが、一旦はこれでいいのだ。勉強と同じで、1個1個完璧なものを作っていくというよりは、まずは全体の骨組みを完成させてから後から補強(=推敲)していく心持ちの方がなんだかんだ上手くいきやすい。
しかし④で満足して完成としてしまうと、まあえらく悲惨だ。骨組みだけの家になど住めたものではないだろう。
そこで次の行程に入っていくのだが、次こそが、短歌を詠む上で最も重要かつ大変かつ経験がものを言う行程である。
⑤推敲!推敲!推敲!
「推敲」は、平たく言うと「手直しをする」みたいなことで、読書感想文なんかで文の途中にある言葉を書き直したくなった時、変更したい言葉の上に取り消しの二重線を引いてその横に訂正後の言葉を書くような行為をしたことがある人も多いだろうが、まさにそういった行為のことである。
小説はもちろんのこと、短歌や俳句、詩などに関しても、推敲は必須と言っても過言ではないだろう。事実、私はこれまで1000首以上詠んできたが、一切推敲をせずに歌集に掲載したのは本当に数首しか無い。ぶっちゃけ、それは単なるマグレだ。推敲は誰しもがするべきことなので、必ずしよう。
そこで、推敲をする際気にかけると歌の質が上がりやすくなるポイントを、今回は特に重要な3つだけだが紹介しておく。
なお、🔰歌人へのオススメ度を☆>♪>Åの三段階で示した。参考にしてほしい。
→直接的な表現を避けよう(☆)
例えば「ドキドキ」「嬉しい」「しんみり」のような、直接的に状態を説明するような表現を避けてみると、より広い視野で物事を捉えられるようになるはずだ。
また、敢えて遠回りな表現をした方が、自分の感情をより具体的かつ個性的に表せられる。
→接続部分に要注意(Å)
「助詞」と書こうとしたが、もっと広義で捉えてほしいので「接続部分」とした。この部分の推敲はやや難易度が高いので、初心者のうちは諦めても大丈夫だ。
ここでは、私が特に強く影響を受けた歌を例に挙げる。
この歌において、「波のしぐさの優しさに」を「波のしぐさが優しいから」としてみたら、どうだろう。
まずリズムが悪く、そして歌自体に深みが無くなっているのがなんとなく分かるだろうか。この歌は、「波のしぐさ『の優しさに』」だから素晴らしいのだ。適切な接続をされているからこそ、上の句と下の句が互いに魅力を引き出し合えている。
このように、場面に応じて適切な助詞・接続の仕方が存在する。しかしこれがよく分かるまでには多少の慣れが必要だ。私もしょっちゅう間違える。だから、最初のうちはとりあえず基本的には五七五七七のリズムに合う接続にするということだけ気をつけておいて、後から著名な歌集を読むなどして徐々にノウハウを身につけていくことで十分だと思っている。
私は飽き性で、最初から気負いすぎてしまったらかえって長続きしなくなってしまうようなタチだ。私のような性格の人は、ここで読んだことを一旦忘れておこう。
→反復、対句を用いてみよう(☆,♪)
接続の吟味は難易度が高めだが、次の技法はとても簡単でとても有用なので是非実践してみてほしい。
上の三首が「反復」という技法を用いた歌である。反復を使うと、同じ言葉を敢えて繰り返すことによってそれの強調ができるというだけでなく、合法的に字数稼ぎをすることもできる。
一番下の歌が「対句」を用いた歌である。対句の主な効果は対比関係がハッキリすることにより対句をした二部分が歌の中で際立つ、といった具合だ。下の句(五七五「七七」)で使われることが多い。
この段落は軽く受け流す感じで読んでほしい。
私の肌感だと、短歌においては対句よりも反復が使われていることの方が断然多い気がする。理由はおそらく、対句は相反する内容を書き並べるだけで簡単に下の句などが出来上がってしまうため、「手抜き」感を作者自身が感じることにより推敲の際書き換えられるから、といった具合ではなかろうか。反復は反復する言葉同士を相互的に引き合わせる必要があるため、対句よりは奥深さを感じる。だから私は対句の歌をほとんど詠んでいない。がしかし、これはあくまで私の意見で、対句でも素晴らしい歌は大量に存在するから、私の戯言は気にせずに対句を使いまくってほしい。
→その他(擬人・体言止め・倒置・意外性・「」)(☆,☆,♪,♪,♪)
・擬人:物を人または人がする行動などに例えること。個性的な歌にしやすかったり、本来感情を持たないはずの物体に感情が芽生えて親近感が湧いたりする。
※この歌には倒置(後述)も用いられています。
・体言止め:結句を体言(=名詞)で締めること。その体言が歌の中でも強く印象づく。
※この歌には「」(後述)も用いられています。
・倒置:語順を入れ替えること。主語述語の順番が逆になるので、結論を先に言いたいまたは主語を強調したい時に便利。
・意外性:「普通はそうじゃない」という、意外な言葉・行動などをはめ込んでみること。その歌に強く個性が生まれ、歌自体に深みが出やすくなる。
※「給食の煮物おいしい」と前後の雰囲気が明らかに違う。嬉しさと狂気が表裏一体であるように感じさせられ、似たような単語を並べていた場合よりもさらにぎょっとする歌となっている。
・「」:"「」(鉤括弧)"を使ってみること。鉤括弧の中が台詞または強調したい言葉であるということを暗に示すことができる。何かと便利。
こういった細かなテクニックも活用してみてほしい。
推敲の流れを実況中継!
さて、ここまでの知識を用いて、④で仮詠みをした歌を推敲していこう。
ここで、①「朝焼け」部分を5音にし(声に出した時のリズムが良くなるようにする)、③主人公を決め(今回は「(君の→僕たちの)頬」「朝焼け」にしました)、⑤登場する物が多すぎてごちゃついているので「紅葉舞い」を削除し、⑤「じわじわ」という直接的な表現を削除し、⑤余った音数を埋めるために反復技法を用いれば、…!!!
こうして推敲がひとまず完了し、あとは助詞や細かいところのチェックに入っていくというわけだ。
ちなみに上記の歌はまだ推敲の余地がたくさんある。この歌はたった今即席で作っただけなので特別に著作権フリーとするから、この先を各自で自由に推敲していってほしい。
⑥一晩寝かせる!
断じてカレーの話をしているわけではない。
実はこれは結構大事なことで、完璧な作品ができたと思ったとしても、次の日以降に見返してみると欠陥が見つかったり、さらに良い表現が思いつくことがあるのだ。
意外かもしれないがこれは本当だ。しかも効果が絶大で、私は必ず一晩寝かせた後に推敲し直してから作品として短歌ノートに納品するようにしている。その歌に向けた情熱が翌日には分散されているのが、良い方向に働いているのかもしれない。
まあ詳しいことは分からないのだがとりあえず一晩寝かせてからもう一度食べてみてほしい。すると昨晩よりも歌の味に深みが出ているから。
短歌をつくる時に心がけること
さて、ここまでのことを実践してくれたらばもう短歌は完成してしまわれるだろうから、最後に今後の短歌制作において心がけると良いことを紹介する。
→守破離
日本には古くから「守破離」という考え方がある。
これは、
というものだ。
この考え方には短歌を詠む時にも通ずると思っていて、
守・・・好きな歌人の歌い方を真似た歌を詠んでみる。
破・・・ちょっと自分なりにアレンジしてみる。
離・・・完全オリジナル作品を完成させる。
のような認識を私はしている。
正直なところ、私の第一歌集『平気モンスター』は「守」、第二歌集『TGC』は「守」と「破」、第三歌集『献身的自己チュー』は「離」であると自己評価している。『平気モンスター』では俵万智さん、『TGC』では俵万智さん・穂村弘さん・岡本真帆さんの影響をモロに受けていた。その点で、「離」と認識できた『献身的自己チュー』は、それまでの2つの歌集とは自分の心の中で一線を画している。
一切日本語に触れずに日本語を話すことができないのと同じように、一切短歌に触れずに短歌を詠むことはできない。つまり、人により長短はあれど守破離の流れは必須だ。しかし、「守破」は所謂滑空路のようなものであり、「守破」ばかりこだわったところで「離」という空へ飛び立つ行程が無ければ全て意味を為さない。一番大事なのは「離」であるということを意識しながら「守破」に取り組むと、きっと順当に上達することができるはずだ。
→しんどい時は短歌づくりをやめよう
本来、何かを創造するという行為は誰かに強制されてするものではないから、別に短歌も無理して継続し続けることは無いよ、完璧を求めなくていいよ、というアドバイスを一応しておく。
ちなみにこの歌では、動画の「映す」と写真の「写す」を掛けているので「うつす」とした。
高校1年の7月10日から短歌を詠みだしたのだが、およそ半年後の1月に一旦プツリと詠むことをやめている。その時、端的に言うと失恋をしたのだが、そこから当分は何をするにも全く気力が湧かなかったので普通に短歌を詠むのもやめた。
高校2年になりようやく元恋人のことをほとんど吹っ切ることができ、新たにいろいろな活動をし始めた。そして数ヶ月後、新たに活動した分辛いことも増えて生き方に困っていた時に、ふと「そういえば私には短歌があったじゃん」と気づいた。そして夏休み中にリハビリをして修学旅行から再び詠み始めた。そこからの勢いは我ながら凄みを感じるのだが、なんと翌年の5月までに300首以上の作品を完成させたのだ。この空白の期間は、『平気モンスター』の「重なる手」と「薔薇の花」の間に存在する。私の歌集がお手元にある方は確認してみてほしい。
とまあこのように、短歌飽きた!無理!となってもひょんなことでまた短歌を詠みだすことは、とてもよくあることだ。一気に詠みすぎて三日坊主になるのもまた、よくあることだ。だからしんどくなったらいつでもやめていいし、逆に言うとしんどい時でも詠みたくなったら詠むべきだと私は思う。しんどい時に短歌なんて詠んで何になるんだと思うかもしれないが、そんな精神状態でいちいち行動に意味を持たせるのは無駄だ。とりあえず詠んでみてほしい。
最後に
私は、短歌は心のスクリーンだと思っている。
短歌は日記より始めやすく、時に日記より自分の心の中に働きかけてくるものだ。それでいて、辛いことも苦しいことも、楽しいことも嬉しいことも、私が思ったことのすべてを包んでくれる。普段普通に生活していてなんとなく思うけれどその場では言語化できないようなことが、後々反芻することによって短歌という形で納品されるのには、えも言われぬ嬉しさがあるのだ。
この気持ちを、あなたも短歌を詠むことにより、あなたにも味わってみてほしくて、今回これほどまでに長い記事を書いた。原動力はそれでしか無い。
もしこの記事が少しでも参考になったのなら、試しに詠んでみた短歌を私に送りつけてみてほしい。すると私は喜んで返歌を贈るだろう。