親の呪縛について語ってみた
こんにちは。あいらです。
今日は親のモヤモヤについて話していきます。
まず、引越しの阻害。
まず、引越しについてすごい批判的です。
地方に行きたい意思を先日伝えました。そこから着々と彼氏と一緒に進めていき、社宅や月限定の住宅を契約。それにくわえ、住民票の移動と本籍の確認。
しっかり自立して一人の大人として、障害に向き合いながらやりくりしたい。自分の強みを活かして楽しい生活を送りたい。その一心なのに。
『この家がやなんでしょ』
『障害があってもあいらは大丈夫。家で暮らしながら頑張れる』
ーーーそういって腕をひっぱたり悲壮にくれてる。
精神的に束縛してきたり、洗脳してくる親。
そろそろ解放してほしいし、自由にさせて欲しい。
やっとADHDを発覚。そこから道を切り開いて、やっと自分を見つけて、理解者を見つけてすごい前が開けてるのに。。
まだ、自分の子供という、所有物という認識。
勝手に意見を持って反抗してくるのが生意気だって。
私は自立して一人として。意見や考えを持って2本足で立ってるの。
はいはいでもつかみだちでもないの。
極端な男女差別
親の口癖。
『男女は平等じゃない』
それは単なる個人の意見。だから別にあってるも間違ってるも存在しない。
だけど私はそれの程度に対して不満がある。
男の子と違って女の子だから。
単純なその理由で、門限を設けられたり、彼氏とのお泊まりは禁止。
お泊まりをお願いすれば、『頭がおかしい』『尻軽だ』など。
一種の洗脳なんじゃないか。偏見も酷い。
お泊まり=行為をするらしい。
『責任持てるのか』
半年付き合った彼氏とお泊まりをした時の会話。
終電を逃してしまった。
怒鳴り声を浴びせられ、『タクシーで帰ってこい』と言われる始末。
帰ったら玄関どころか、マンションの入り口でにおうだちで待機。
言われ続けると、私が下品で頭がおかしいのかという疎外感、不安感が生まれる。仲間なんていないんじゃないかって。
食べ残しは悪
これも散々言われてきました。
『茶碗洗えないからダメ』
『行儀悪いからダメ』
別に茶碗洗えないなら処理は私が全て責任持ってやれば、気にする必要はない。責任持てば選択は自由。それを学んでからは気にしないようになりました。もう成人した一人の大人。
いちいちガミガミ言われる歳じゃないし、全てにおいて選択は一つじゃない。むしろ一つの選択を徹底して強制されて、自由を奪われる生活が一番生きづらい。これも自由が生きてく上で必要不可欠という特性を知ったおかげです。
考え方がだんだん変わった。
ADHDを知ったおかげで、自分は周りに合わせる必要がない。批判を受けても単なる普通の中の意見。そういう考えを持てるようになりました。
だから自由という特性を基準として考えて動く。これを徹底してます。
周りから何を言われても耳に入れるけど、実行するかは自分次第。
見解
多分、愛着障害の一面がある。絶対的信頼をおいてくれる家族という存在が正常なんだと思う。そこが足りない。
だから私は、意見をいうたびに共感を求める。共感が居場所となるから。
だから否定されると疎外感を感じる。意見次第では居場所がなくなるから。
親も同じ。共感を求める。だけど、自立してないから、自分と他人を切り離せない。だから正解と不正解で分ける。
親から見た私は一人の人間じゃなくて、あくまで自分の子供。
切り離せないから、受け入れられない考えは受け入れない。
そう言う面で、私は絶対的な信頼を置く人を見つけられた。
私が何を言っても受け入れてくれる。だから他人と違くても否定しなくなった。受け入れられる必要がないから。
大事な数人だけにわかって貰えばいい。そういう考えになった。
障害も結婚も親に納得してもらう必要はない。