追いかける犬を追いかけた話
その昔、私は6歳くらいだったと思う。もちもちしてるから姉から〝もちゃこ〟と呼ばれていた頃の話。
母と、姉と、夜は布団を並べて寝ていた。そして、眠るまで寝そべりながらしばらく、よもやま話をする。
そのうち、アイス食べたくない?と誰かが言い出した。
アレがいい、オレンジのシャーベット。
その頃、カップに入った50円のオレンジシャーベットは、30円の青リンゴ棒アイスと並んで(時代が感じられるなぁ)うちでは人気があった。
じゃあ誰が近所の〝しまかげ商店“まで買いに行く?と話し合う。家から150メートルほどだろうか。
いまとなれば信じられないんだけど、土曜の夜などはよく、寝る前にアイスを買いに行って女3人布団の中で!食べたりしていたんだよな。歯磨きは一体どうなってたんだろう?
そしてしまかげ商店はいったい何時まで店を開けていたんだろう。
とにかくその日、私がしまかげまで行く事になったのだ。私が行ってくる!!ここで行き渋っていたらオレンジシャーベットを食べそこねるからな。
そして当時、今では信じられない事に(2回目)夜になると放し飼いになる犬というものが存在した。田舎だからかも知れない。
夜になると人通りが少ないから、勝手にどこかに行ってストレス発散してこい、という怖いシステムだ。毎晩ではないんだけど不定期に放たれる。
それはどう努力しても犬、としか呼べなかった。どこの犬か、何犬か、名前があるのかも分からない。そして今のようにしつけがされて可愛らしい犬達とは、ちょっと違う。
半野生、と呼びたくなるくらい恐ろしく鋭い目付きをしていた。犬は当時も今も好きだけど、夜に放されて自由を謳歌する犬は、もれなく怖かった。
何故それでも行くのを志願したのか…もちゃこ。スリルを求める女。いや、内実は食い意地に操られている。
まあ、今日はいないだろ、と高をくくって(これでよく痛い目をみる)外に出て、鼻歌まじりに細い道から大通りに出たその時
…いる!
ドッキィと心臓が不穏な音をたてた。その音が聞こえたかのように速やかに、タシッタシッと犬は足音と共に近付いてくる。
私は縮み上がった。外灯の下、黒いシルエットがこっちにスピードを上げつつやってくる。ヤバい、大きい!怖い!
たまにしか放されないから、犬的にも多分テンションが上がっているのだ。何となく多分、羽目を外している。
逃げた。ヒェェーなどと弱々しい声を出して走った。犬はどんどん迫ってくる。50メートル11秒の鈍足では追いつかれるのは目に見えている。
余談だが、中学校の陸上大会では、先生に〝本気で走れ〜!“と怒鳴られ(いや本気なんだよ、顔みて)100メートル走をする姿を見た友人に、持久走と思われた私。
恐怖でいっぱいの、パジャマ姿でもたもたと走るポッチャリめの6歳児… 犬にとったら狩猟本能を刺激される存在以外の何者でもないだろう。犬は何も悪くない。
しかしこの流れだと、犬が追いついたら調子に乗って噛んでくるかも知れない。いや、私がもし犬だったら、確実に噛む。そんな流れ…!
私はとっさに踵を返した。
そして眼前に迫っている犬に向かって走ったのだ。
ドンドンとアスファルトの地面を踏みしめ、腕をぐるぐる回しつつ、わーっと言いながら追いかける犬を追いかけた。
犬はびっくりして逃げて行った。
もしその犬が話せたなら、私と一緒にわーっと言っていたにちがいない。途中からきっとハモっていた。
大成功じゃないか…。よくやった、もちゃこ。
心臓はめちゃくちゃドキドキしていた。私は無事にしまかげに行き、勝利のアイスを入れた袋を握りしめて、おそらくクールな表情で、ウチへ帰った。
圧倒的な安堵感と、何故か感じる一抹のかなしさみたいなもの。
その時私は、勇気を出して1人で窮地を脱するという、多分初めての経験をしたのだ。
家族にはその事を何故か言わなかった。(もうアイスを買いに出られなくなる事を警戒したのかも知れないし、恥ずかしかったのかも知れない。)
その犬は私をもう追いかけなくなった。私はそのあと近所に別の仲良しの犬が出来たし、犬は変わらず好きなままだった。
その後の人生でも何度か、追いかけてくる犬を追いかけるような、思い切りが必要な場面に遭遇した。そして何回かは乗り越えたと思う。
だから〝追いかける犬を追いかける〟は、私の中で自分にだけ通じる冗談みたいな慣用句になった。
犬を、じゃないかも知れないけど、何かを追いかけないといけない時がたまにはある。生きてると多分。
笑い話のようなその時の6歳のもちゃこを思い出す。心の中でその時の私から、ちょっとだけ勇気をもらうのだ。
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