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かつてのつぶやき

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時効なので、あの時は恥ずかしかった言葉も今なら言えます。
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#哲学

フルーツバスケット
僕がそっち(光)に行けないのは、そこにひとがいるせいだ。その席に座っているひとがいるせいだ。この世界には、王者の冠と、平凡な生と、絶望との居場所が別れている。僕はまるでなにか死に神の手に括りつけられるかのように、この椅子に座っている。絶望という椅子に。

ai
4年前
11

求めるほどに、過ちをくりかえす。そのすえに、得られるものがあると信じながら。少しずつ目が慣れてきたら、冷静になった頭で立ちかえり、つぎに進めばいい。
「神のいたずら」

ai
3年前
10

ーー闇に潜められし運命。まま、生きるまま。背後から忍び寄る気配。すらもない呼吸。ぶくぶくと、泡立つ姿が、ただ見える。黒い影に忍び寄られ、まま、両眼を両腕で塞がれる。「もう見なくていいよ」と。「もう君は見なくていいよ」と。ああ、愛おしい。この躰。磔にされた、この標本(マリオネット)

ai
4年前
2

「地球とのつながり〜惑星〜」あなたが虹を渡るとき、元に戻りたくなることがあるだろう。しかし、みんなとつるむことは、誰にでもできることである。その虹の架け橋の先に往けるのは、ここまで来たあなたしかいない。その先を観れるのは、ここまで登って来たあなたしかいない。

ai
4年前
3

こういう存在が生まれなければならないほど、だれかが汚れ役を担わなくてはならないほど、世間とは弱いものなのだ。可愛らしいものだろう。密かに必要とされていることを知っている。欠陥の多い社会であることを身をもって知っている。そして、私自身それを、社会からの擁護と愛を必要としているのだ。

ai
4年前
5

おもいかえせば、"本当に楽しいことをしているとき"は、自分の挙動など省みていない。対象と一体化しているのだ。鏡をみるとき、カメラで自己を映すときほど、なにかに困っていて、迷っているときなのだ。ここは盲点でもあった。答えは、すぐ其処に有る。だから一緒に楽しいことをしようではないか?

ai
4年前
4

おもいかえせば、自己をふりかえり、省みるときなど、おおかた何かに悩んでいるときであった。つまりは、そんなときに、鏡をとおして、"ほんとうのじぶん?"、を見つめたところで、いやになって、失意にまみれてしまうのも当然のことなのだ。

「死ぬときに抱くのは、女じゃなくて原稿用紙だ」というセリフがあるけれど、私もただ「面白いもの、創造的、詩的に揺さぶられる感性のためだったら、どこまでも、どこまでも、幾千里、遠く離れた地まで行ける」っていうだけだから、結局女性を追いかけているようなものなのだろうな、と思っている笑。

ai
4年前
11

あぁそうだ。結局作家というのも、自分の経てきたことを、文体に、あるいは物語に半強制的にあらわすことで、なんとか客観のものにしようと、単なる舞台、幻想、物語にすぎないと、そう治癒的な目的で昇華させたかったのかもしれない。それか創作の話のネタか。……それがどんな結末を迎えるのであれ。

ai
4年前
8

言わなきゃと思っていることは事実ではない。対して内にあることの絶望なだけで、客観的に見たわたしとは希望の岐路が絶たれたわけでもないのかもしれない。自ら手放しただけで、主観の絶望はとんでもないものだが、生きている限り客観の幸せは転がり込んできたものだし、楽しむことから始めようや?

ai
4年前
5

まだできないことも、「いつか」できるようになる。今すぐやらなくてもいい。子供には苦く感じられるコーヒーやビールの味が、大人になったら飲めるように。でも、子供にはその素晴らしさがあるように。いろんなことを知りたいって欲求があるように。

ai
4年前
14

半永続的に苦しいのはしょうがないと思う。だって周囲の無理解によるのかもしれないから。むしろそれを前提とした上で、苦しみも甘んじて受容して、本当に気の合う理解者に恵まれて巡り会うこと。天才っていうのは、時代とか周囲の理解・無理解に関係なく、残すべきものを残したときの人なんだろうな。

ai
4年前
10

あんまり自分の意思を表明したり、無闇に抗うのが好きじゃないっていう人もいるけれど、それはきっと事前にその人が問題を大きくしないように防いでいる賜物なのだと思う。逆境を大きくしてしまった人間としては、意外と話し合いで解決することもあるから、小さな処世術こそ学びたいほうだ笑。

ai
4年前
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人間の悩みはウイルスとおんなじで、当初は脅威におびえても、一度ワクチンや対策法が生まれると、「なんてつまらないことだったんだろう」とおもえる。だけれど、それで亡くなっていった命があるのもほんとうのこと。