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かつてのつぶやき

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時効なので、あの時は恥ずかしかった言葉も今なら言えます。
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#つぶやき

求めるほどに、過ちをくりかえす。そのすえに、得られるものがあると信じながら。少しずつ目が慣れてきたら、冷静になった頭で立ちかえり、つぎに進めばいい。
「神のいたずら」

ai
3年前
10

ーー闇に潜められし運命。まま、生きるまま。背後から忍び寄る気配。すらもない呼吸。ぶくぶくと、泡立つ姿が、ただ見える。黒い影に忍び寄られ、まま、両眼を両腕で塞がれる。「もう見なくていいよ」と。「もう君は見なくていいよ」と。ああ、愛おしい。この躰。磔にされた、この標本(マリオネット)

ai
3年前
2

橋を渡るとき、ひとり寂しく背後(うしろ)をふりかえり、元に戻りたくなることがあるだろう。しかし、みんなのいる場所にとどまることは、だれにでもできることである。そして、その先に進めるのは、ここまで来たあなたしかいない。ここまでやってきた、あなたしかいない。「橋を渡るとき」

ai
3年前
2

こういう存在が生まれなければならないほど、だれかが汚れ役を担わなくてはならないほど、世間とは弱いものなのだ。可愛らしいものだろう。密かに必要とされていることを知っている。欠陥の多い社会であることを身をもって知っている。そして、私自身それを、社会からの擁護と愛を必要としているのだ。

ai
4年前
5

おもいかえせば、"本当に楽しいことをしているとき"は、自分の挙動など省みていない。対象と一体化しているのだ。鏡をみるとき、カメラで自己を映すときほど、なにかに困っていて、迷っているときなのだ。ここは盲点でもあった。答えは、すぐ其処に有る。だから一緒に楽しいことをしようではないか?

ai
4年前
4

「死ぬときに抱くのは、女じゃなくて原稿用紙だ」というセリフがあるけれど、私もただ「面白いもの、創造的、詩的に揺さぶられる感性のためだったら、どこまでも、どこまでも、幾千里、遠く離れた地まで行ける」っていうだけだから、結局女性を追いかけているようなものなのだろうな、と思っている笑。

ai
4年前
11

一番没頭するのは、視覚情報と聴覚によるものだ。画面を見ながらタップして、耳で聴く音楽ゲームのように。「それ以外は脳に入る余地がない」一番近くで聞こえるのは、隣で囁いている人の声ではなくて、脳で反響している自分の声だ。だからこそ、呼吸に意識を向けるなら、息づかいに耳を澄ませるのだ。

瞑想中に「ああ、この音が聞こえるなあ」というのは、ただの外的な刺激であって、キーになるのは「そこからどう感じるか?」だ。「音が聞こえた」▶︎「聞こえてどう感じた?」と、そんな小川のせせらぎのような心の安らぎ、柔らかさを感じることにこそ、ささやかな意味がある。

ai
4年前
7

成功者がよく「同じような人がいても負ける気がしない」と言うけれど、それは成功には再現性がないことが関わっているのだろう。成功の裏にはより多くの人間との繋がりが関わっている。だから、その一人一人を完璧に真似るほどの再現性はない、と仲間との絆を大事にして言っているのではないだろうか。

ai
4年前
7

あぁそうだ。結局作家というのも、自分の経てきたことを、文体に、あるいは物語に半強制的にあらわすことで、なんとか客観のものにしようと、単なる舞台、幻想、物語にすぎないと、そう治癒的な目的で昇華させたかったのかもしれない。それか創作の話のネタか。……それがどんな結末を迎えるのであれ。

ai
4年前
8

机の上に物を置くなら、机の上をキレイにするものにすれば、キレイに片付けるしかない。不安と悩みは、寝る前に解消させて翌日に持ち越さないようにすれば、スッキリと眠れて目を覚ますことができる。こういう手間を減らす工夫が楽しい。あまり多くを求められない人間だと分かっているから、なおさら。

ai
4年前
5

言わなきゃと思っていることは事実ではない。対して内にあることの絶望なだけで、客観的に見たわたしとは希望の岐路が絶たれたわけでもないのかもしれない。自ら手放しただけで、主観の絶望はとんでもないものだが、生きている限り客観の幸せは転がり込んできたものだし、楽しむことから始めようや?

ai
4年前
5

「完璧な人なんていないから弱みを受け入れよう」と励ませるけれど、そこには自分が勝手に完璧主義になっていると誤った前提がある。そもそも「一体だれが君をそんな完璧主義にさせたんだい?」と語りかけないと、「完璧になろうとする自分はダメなんだ」とナメクジループに。人のせいにしてもいい😉

ai
4年前
9

半永続的に苦しいのはしょうがないと思う。だって周囲の無理解によるのかもしれないから。むしろそれを前提とした上で、苦しみも甘んじて受容して、本当に気の合う理解者に恵まれて巡り会うこと。天才っていうのは、時代とか周囲の理解・無理解に関係なく、残すべきものを残したときの人なんだろうな。