若年性慢性関節リウマチ(JRA)膠原病とは(2) *8
10歳で膠原病(リウマチ)を発症した私。
「20歳には寝たきりになるかも」と
両親は医師から言われたそうです。
全身の関節が炎症し、破壊されます。
変形がおこり、固まって動かせなくなります。
ゆえに「寝たきり」
原因は不明です。
診断が出るまでにも時間がかかりました。
いくつもの病院を巡りました。
ランドセルを背負って、大学病院に通っていました。
自分の免疫が正常な細胞を攻撃しないように、強い免疫抑制剤の注射を打つなどの治療がされましたが、関節が壊れてゆくのを止められませんでした。
リウマチは、特に手の指関節に症状がでます。
私の指は、小学校を卒業する前に曲がって伸びなくなりました。
「く」の字や「へ」の字みたいに。
一番イヤだったのはジャンケンです。
チョキは何を出しているのかわかってもらえないから、ひたすらグー。
でもそれに気づかれると負けちゃうから、たまに、”開いてる”という雰囲気押しでパーを出してみると、開ききらない手が途中で止めたように見られて「ズルしてる」なんて言われたり。
曲がった指に気づかれるのが、とてもイヤだった。
小学生から中学生くらいまでが病気の急性期で、どんどん病状が進みました。
できないことが増えていきました。
少ししか歩けなくなりました。
口が大きく開けられなくなりました。
首が回らず、横が向きにくくなりました。
正座ができなくなりました。
手首が固まって反らないので、雑巾掛けができません。跳び箱も鉄棒もできません。
バレーもバスケも…
体育は全部見学です。
遠足は現地集合(⁈笑)です。
治療や体調不良のために遅刻早退を繰り返して、目立つし、行事ごとに特別扱いされてるみたい(「みたい」じゃないですね。特別な対応をしてもらっていたのですが)で引け目を感じていました。
だから、"みんなと一緒" 、"できるだけ はみ出さない" に一生懸命で。
「できます」「大丈夫です」と無理をして、後から動けなくなることもしばしば。
だけど、”みんなと一緒”がしたかった。
“みんなと一緒がいい” とやってしまう無理や
季節、寒さや湿度などで
痛み(炎症)が酷くなることは、なんとなくわかっていました。
だけど、日常生活がそもそも無理をしている状態。
今のように「がんばらなくていい」とか「障害は個性だ」とか「多様性」とか、薄かった40年ほど前。
“はみださない”
“どうやったら普通でいられるか”
自分も親も周りの大人もそれしか考えられなかったのだと思います。
日々変わる体調と
進行してゆく病状と
痛みと不安と
成長と周りの期待と
折り合いをつけて学校生活をおくるのは、とても困難でした。
何一つ安定しなくて、ぐちゃぐちゃな人生。
小学校から大学まで、七転八倒しながら泣きっぱなしの生活を送って
20歳の結果ですが
医師や親の努力のおかげで
寝たきりにはなりませんでした。
けれど
寝たきりにならずに、なんとか大学まで卒業し、
社会人になって、あとは自分の力で生きていけるようになろうと会社勤めを続けていたのですが、
死ねないから生きている
と思う日々が訪れます。
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