宮古島 (3)
1週間ほど前、私は宮古島の空港に降り立っていた。
10年以上も友人であったり、私の空想の恋人であったTが、これから宮古島に行くと行って消息を絶ってしまったからだ。
出会った当時、私はまだ20歳になったばかりの世間知らずな女子大生で、サークルやアルバイト、大学生活になって始めて体験する様な人間関係に追われて、勉強もそこそこに流行を追いかける様なフワフワとした生活をしていた。
Tは年下であったが、その当時、これまで出会ったことのない様な自由で突飛な発想をする男の子で、彼と話すことはとても新鮮で、これまで自分を表現することが苦手だった私は彼と話すことで、自分がどんどん引き出されて行く様な、ワクワクする可能性を感じた。
彼の屈託のない生き方や考え方に触れる中で、私が彼に次第に惹かれて行くのは、まだ若かった私にとってしごく当然で
あったと思う。でも、その中で決定的に惹かれるきっかけになった事が、彼が生まれつき目が悪く、視界がだんだんと欠けて行くという病を持っていたということを知ったからかもしれない。
自分の努力ではどうしようも出来ない将来を見据えながらも、今を生きる姿の中に、時に見える深遠な闇を会話の中で垣間見る時、当時の若かった私にはなかったその葛藤を見て、そこにどうしても忘れることのできない惹かれるものを感じてしまったのだと思う。
そんな将来に対する不安を抱えながらも、大抵は将来の夢を語ったり、現状の興味のある話をして、普段はとても楽しい時間を過ごしていた。話しても話しても飽きる事がなく、何時まででも長電話をすることもしばしばだった。
人生の大事なタイミングで彼とは度々再会し、会うたびに深く語り合い、
私の精神的な成長を作り上げていく過程で、私にとってかけがえの無い大切な存在になって行った。
結婚後、子供に恵まれながらも、予想もしていなかった結婚生活に、私はすっかり精神不安定になっていた。
思えば結婚生活がどんなものかも分からずに憧れと世間体、親の期待に応えたいという気持ちが先に立って、相手に対する思いやりが足りず、エゴを満たすための結婚だったのだと思う。
不仲になっていた夫婦関係を誰にも相談することも出来ず「もう自分の人生は終わったのだ」と思っていた。独身時代の様に、思う様に生きる事は叶わないのが当たり前だと自分に言い聞かせ、自分の創造性にはしっかりと蓋をしていた。子供の頃からふと目を閉じると見えていた胸の中に消すことの出来ない”炎”を見て見ぬ振りをして、とにかく自分が我慢するという方法でしか、その時々を解決することができないでいた。
そんな折にTが居なくなるという出来事は、私の最後の妄想の中の自由を失う様な大きな悲しみとなった。
Tには夢があったが、次第に視界が奪われていく中で、マッサージ師になる道を選び、その資格を取得するこの春に生まれた街を出て、最後に自由に生きようと決めたという事だったのだと思う。何度か彼との会話の中で宮古島が出てきたことを思い出し、そうか、そんな事を思って話していたんだなと思うと、いても立っても居られなくなり、自分が相手の立場だったらきっと見つけて欲しいはずと思い、後先考えず、その夜のうちに飛行機のチケットを取り、翌朝にはたった一人、島の空港に着いていた。
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