白井 由紀 AIN SOPH. Owner
2009年、体外離脱。 その年の内に突き動かされるようにドラマが起きてアインソフを創業する。
2009年よりベジタリアンレストランを運営。インバウンド消滅。
2009年より銀座、新宿三丁目、池袋、歌舞伎町、京都河原町にビーガン レストランを展開するAIN SOPH.(アインソフ)の乳製品、卵を使わない VEGAN スイーツです。素材にこだわったパティシエが全て手作りのお菓子のご紹介です。
お母様が出ると、慌てて、彼に代わってくれた。彼が出ると、私は電話越しにわんわん泣いてしまった。 会いに行こうとしたのに行けなかったこと、明日でもう会えなくなることが辛いこと、ワンピースがゲロだらけになってしまったこと。 まだ、彼は高校生だったのに、運転免許もとったばかりなのに、迎えにいくから待ってて、と言ってくれて、私を彼の実家まで連れて来てくれた。ご両親もおばあ様も妹さんも、こんな夜中にヨレヨレになって泣き崩れている私を暖かく迎えてくれた。 仏間に大きな座卓があり、両脇に
私が22歳くらいの時だったと思う。大学在学中に運転免許を取得しなくてはと思った私は、当時、アルバイトはしていたが、お金はなく、何かの本に書いてあった方法で居住地の運転免許センターで実技試験を受けて運転免許の取得をすると言う格安な方法を見つけて実践することにした。 仮免を取ってから、「仮免許運転中」の貼紙を自家用車に貼って、運転経験のある人に助手席に乗ってもらえれば一般道を走ることができる。今も出来るかは不明だが、当時はそんな仕組みがあった。 その運転免許センターで、魅力的な
15歳の時に父親の勧めで海外にホームステイに行く機会を得てアメリカに行きました。母はカトリックで信心深い人でしたので、その影響か私も小さい時に洗礼を受けて学校に上がる前からキリスト教教会に通っていました。母は信仰の影響で奉仕的な人でしたので、海外から来る子供をホームステイさせる事も自然にするような心持ちの人でした。カナダから来た同い年の女の子と意気投合した私は、彼女の家にホームステイさせてもらう事になります。当時、バンクーバからバスで7時間くらい行くような田舎に家がありました
走川さんに紹介されたのは、沖縄でユタと呼ばれるような職業の方だったようであったかもしれないが、当時の私はそのような職業のことは知らなかった。私の話を丁寧に聞いてくれたが、その時、私は祝田さんとの面談にお代を請求されるようなことがなかった。彼女が話してくれたことで覚えているのは、彼女が真言宗のお寺でお勤めしていたことと、癌を患っていることだった。走川さんの家でマッサージ中に見えたこれまでみたことの無いような映像が、その後、意識を失った時に見るいくつもの世界で存在している私の未来
ホテルでの走川さんのマッサージを経験してから、私は人に触れてもらう事で、精神的に癒され、健康が改善され、波動が整っていくことを感じていた。 人に紹介されて、ある場所に行って、また、そこにいる人に紹介を受けたり、メッセージを受け取って、次の場所に行くという旅を続けていると、再度、紹介を受けて、走川さんのマッサージを紹介される偶然があった。 今度は彼女の自宅に出向いてマッサージを受ける事になり、小さな古民家を訪れた。 玄関先には大ぶりのガラス瓶がたくさん積み上がっており、瓶
島に降り立つと、意外に大きな街であることに驚いた。 診療所がある様な小さな島かと思いきや、この規模であればどうやって連絡の取れない相手を見つけたらいいのか。。どうする事も出来ず歩いていると、ひときわ、私を惹きつける美しい店構えの小物屋さんがあった。大振りの天然石や、シーグラス、流木などをあしらったピアス、置いてある物全てと波長があって、惹きつけられるものばかりが置いてある店だった。店主が話しかけて来てくれて、雑談していると、この話にもあっと言う間に引き込まれていった。私は初め
1週間ほど前、私は宮古島の空港に降り立っていた。 10年以上も友人であったり、私の空想の恋人であったTが、これから宮古島に行くと行って消息を絶ってしまったからだ。 出会った当時、私はまだ20歳になったばかりの世間知らずな女子大生で、サークルやアルバイト、大学生活になって始めて体験する様な人間関係に追われて、勉強もそこそこに流行を追いかける様なフワフワとした生活をしていた。 Tは年下であったが、その当時、これまで出会ったことのない様な自由で突飛な発想をする男の子で、彼と話す
気がつくと、朝の光が目に入って来て、清々しい島の朝の音が聞こえる 体外離脱中にも、部屋の中を歩き回っていた猫の気配を感じて 私はゆっくりと目を開けた。 事務所に泊まり込んでくれていたのか 私が朝を迎えるまで寄り添ってくれていた祝田さんは 「昨夜は主人に電話して、客人が倒れてそのままの状態だから帰れないと言ったのよ。 でも、今朝は早く出なくちゃいけないから。」 祝田さんはこの島に来てから、マッサージ師の走川さんの紹介で、昨夜、初めてお会いした。 真言宗の修行をしたと言う、こ
フランス式庭園のような人工的に丸く刈り込まれた樹木が点々と植えられた道を、私は流れるように進んでいた。 鳥になったような視点で、自分自身が飛んでいるようなスピードと動きでその景色を眺めていた。 フルカラーの躍動的な映像が無限に流れる中を、私は漂っている。 しばらくその場面を眺めていると、 今度は、水平線の遠くに見覚えのある島影が見える。 空気感で自分が島風を感じている事がわかる。 切ない思いでその景色を見ている感情は誰のものなのか。 次の瞬間、東京の自宅に残してきた息子
今日は真面目にアインソフの運営会社、株式会社真の運営について考えてみたいと思います。 弊社は2009年間7月に創業し、 アインソフ銀座店をオープン。 創業から、 3年後の2012年にアインソフジャーニー新宿店、 4年後の2014年にアインソフソア池袋店、 5年後2015年にアインソフリプル歌舞伎町店、 6年後の2016年 ビル老朽化の為、閉めていたアインソフ銀座店をリニューアルオープン。 7年後の2017年コールドプレスジュースとビーガンフードブランドTruebe
今年も、ものすごい量の梅が枝いっぱいになりました。 これでもまた半分も取れておらず、、 でも、取らないともったいないし、、 これから漬けます。 梅仕事楽し。 庭仕事楽し。 家にいると片付けが進みます。 こんなにとれたら何か商品にしたくなる。 商売人根性w。 これからもたくましく経営していきます。 泣いててもしょうがないのでね。 アインソフのお菓子が買えるのはこのサイトだけです😊 お店のフォローと商品にいいね👍くださいませ。 Vegan Patisserie AI
「こんなに伸びちゃったのよ!」 土から頭が出た辺りで掘るらしいのですが、 ここまで伸びても柔らかく美味しく食べれるそうです。 今夜は竹の子ご飯にしよう✨ ちょっとしたお返しに、 ヴィーガングルテンフリークッキーアソートはいかがですか? https://ainsophjp.official.ec/items/27739583 Vegan Patisserie AIN SOPH. https://ainsophjp.official.ec
長年お世話になっている「veggy」編集長の"吉良さおり"さんがブックカバーチャレンジでご紹介くださいまして、仕事の遅い私は、なかなか取り掛からず、そうこうしてる内に、突然の仕事が次々入り、告知や書き物は後回しになる始末💦 一冊だけご紹介出来るほど読んでいる本と言えば、「あるヨギの自叙伝」。 10年ほど持ち歩いて繰り返し読んでいます。インドに行く時も、パリに行く時も、ニューヨークにも持って行って旅先で何げなく開いたページを読んだ思い出があります。 長い年月かけて繰り返し
アインソフ リプルは2015年に歌舞伎町にオープンしました。「ハンバーガー専門店としてヴィーガンのお店を」。それが5年も前とは自分でも驚きです。 当時、何故、歌舞伎町に? もっと、港区とか自由が丘とかおしゃれな場所に出店したら良いのにと言う反応が多く、確かに当時はいかがわしい街の雰囲気が強かったのです。 しかし、近年、ゴジラの模型がビルのシンボルになっている映画館や公園の整備、健全な街作りを目指す都の努力もあって、大きなホテルチェーンが立ち並び、すっかり外国人観光客の街
今年は桜の季節も自粛、お花見も無くなって、ゴールデンウィークも自宅でこもって過ごすしかない。 離れて暮らす母に会いに行くことも出来ず、 一人暮らしの母に、SkypeもLINEもZOOMも設定してくれる人なんていない訳で。 せめて、母の日に届いた荷物を開けて、 明るい笑顔が咲きますように。 Vegan Patisserie AIN SOPH. https://ainsophjp.official.ec
2009年に銀座で誕生したアインソフ。 ビルの建て替えで一時閉店し、2016年11月11日にアインソフ ギンザ は再オープンとなりました。 その時の目玉商品として誕生したのがヴィーガンレーズンサンド。 今回、Vegan Patisserie AIN SOPH.のオープンを記念して誕生したのが、 これまでのレーズンサンドをグルテンフリーにした「グルテンフリーヴィーガンレーズンサンド」です。 大人の味わいのソイバタークリームと、ふっくらとした有機レーズンを噛みしめると口