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雑感記録:8 すべての道はローマに通ず

 大帝国を築いたローマ帝国。その強さの秘密は「道路」にあります。中でも「アッピア街道」はローマ最古の道路と言われています。
 その成り立ちは古く、紀元前312年くらいにローマの監察官アッピウスによって建設されたことから、アッピア街道と名付けられました。
 幅8mほどのアッピア街道ですが、なんと現在も利用ができるほどの耐久性を保持しています。このようなものを、実用的な文化遺産というようですね。

 ではどのように、「道」が作られたのでしょうか。少しだけ見ていきましょう。
 地面を1~2m掘って砂や砂利を敷き、切石をモルタルで接合して、強度を確保して作られました。
 このおかげで、重戦車が走っても道が壊れることがなかったそうです。現代のアスファルトの道路も地面を掘って基礎を固めてからアスファルトを敷くので、実はローマ時代の道の作り方と根っこの部分は同じだという見方もありますね。

 さてここで問題です。ローマの道路の総延長はどのくらいでしょうか?

 1:400000km
 2:88000km
 3:2600km

 正解は1、40万kmです。
 当時のローマは広大な領土を持っていたので、各地域の統治の難易度も高かったと思われます。しかしその統治の助けとなったのが、各地域に根深く作られたローマの道路だったのです。反乱とあっては素早く正規軍を現地に送り込み、鎮圧し秩序を維持するためのルートとして使われました。
 このように、ローマの道路はただの交易路ではなく、軍道としても用いられました。
 しかしそれだけでは40万kmにも及ぶ長大な道路を敷いた理由としては薄いでしょう。実はこれにもローマ帝国を維持する立派な理由があったのです。
 歴々のローマ皇帝は、ローマ兵の反乱を常に恐れていました。戦争や治安維持が必要のない間、兵士には仕事がないからです。そこで、失業者対策・仕事の安定供給としての公共工事として、道路の敷設が国策として行われたのです。結果、最終的にこの長さにまで至ったと言われています。

 そして、この公共工事はローマの名を世界に知らしめることになります。交易によって集められた世界中の珍しいものに、当時のローマ市民は刺激を受けていたとのことです。
 日本にも、遣唐使を通じて様々な物がやってきました。ペルシャ製のガラス製品などが入って来きて、それは今も奈良の正倉院に収められています。正確には、シルクロードとは中国とヨーロッパを結ぶ交易路みたいですね。

 ということから、ローマ帝国の道路なくして、現代の文化の発展はあり得なかったのかもしれません。

 今回も読んでくださりありがとうございます。
 はぶあぐっとらいふ

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