私が幸せを感じるとき
2020年、どう生きようかと考えたとき、やっぱり「自分軸」で今、この瞬間を楽しめるようになりたいと考えた。
私は私であって、他人じゃない。私のオリジナリティ。それこそが命の源泉。
そして、今は未来のためにあるんじゃなくて、今この瞬間のためにある。過去も今から見直して、意味づけをいくらでも変えられる。
だから、私らしく、今目の前にあることを面白がって生きたい。
そのために、私が幸せを感じるポイントを振り返っておこうと思う。
自分が大切にされたとき
めちゃくちゃ自己中心的だ。まずそれを認めよう。
でも自己中心的じゃないなんて、この世界で自分を生きる意味があるんだろうか。
もちろん、他者のために尽くす時間が、喜びにつながることもある。
でもそれって、「自分が他者に貢献できている」と理解しているからなんだよね。
結局は自分じゃないか。
だから、私は自分が大切にされていないと怒る。粗末な扱いを受けたと憤慨する。
でも、それももうやめよう。
そういう時の自分が最も自分を大切にできていないんだから。悲劇のヒロイン気取りの私。
たとえ相手がそうしたって、私が受け取らずに、自分で自分を大切にできたら良い話だ。
私が私を大切にしよう。そこが何よりのスタート地点。
面白がって変化し続けよう
そのうえで、どんな場面を増やしていくか。
カバー写真は、2019年の振り返りで引いた女神カード。
真の愛に目覚めた過去があり、子どもらを導く今現在で、これからは黄金のチャンスが訪れる、と出た。
パラダイムシフトが起こる瞬間が大好物だ。
パラダイムシフトとは、既存の価値観の革命的あるいは劇的な変化を指す。
たとえば、子どもらが理不尽な要求をするのはわがままだと思っていたけれど、私が自分と向き合うための必然だったと知ったとき。
(それでも「これは何の修行だ」「どんな気づきを促そうとしているんだ」と七転八倒する日々だけど)
家事は女性がやるものだと思って、私が担いきれないほど抱えて、やっぱりやりきれなくて、夫や子どもらに任せたら、いつの間にか家族がたくましく成長していたことに気づけたとき。
(いや、まだ家の中、ぐちゃぐちゃだし、私が抱え込んじゃうことはよくあるけどさ…)
仕事で眼から鱗な話を聞いて、「そうなのか💡」と発見ランプが灯ったとき。
(だからインタビュー取材が大好き♡)
変わり続けないと生きていけないタイプではあるけれど、今年も面白がって変化し続けていこう。
変化を求めることは、時に産みの苦しみにめげそうな場面にも遭遇するけど、今この瞬間を生きることを諦めない。楽しむ。
ドMだからね。そう決めてかかることにしよう。
意味づけを探るひととき
後から振り返って「あぁ、そういうことだったのか」と腹落ちする瞬間も、私の生きる喜びだ。
だから振り返りの時間を作ろう。
忙しすぎて駆け抜けるような毎日だけど、走り続けるばかりでは息切れしちゃう。
ふと立ち止まるひとときも恐れずに設けよう。
走り続けていると、立ち止まるのが怖くなることもあるけれど。そんな時こそ、休息し、振り返る癖をつけたい。
日記をなかなか書けない性分だから、思い立ったが吉日。その都度、意味づけを考えたらいいじゃない。
理由なんて後付けでいい。後から二転三転したっていい。その一貫性のなさが私らしさでもあるから。
そうしてぐいぐい変化していく、その場で姿形を変えていく生き物だから。
そこを周囲にうまく理解してもらわないと、誤解を招きそうだな…気をつけよう。(どんなに気を付けても、自分が仕掛けた罠にハマるのも私だ。)
自身に正直さを貫く瞬間
私が究極の自己中心的人間だから、この社会のすべての人に「自分らしさ」を大切に生きてほしいと思う。
そんなん無理だよ、と言いたくなるのは百も承知だ。でも諦めないよ。
もちろん、相手のことを思って行動する優しさが多くの人には備わっている。(すべての人とは言わない。)
一方で、人を傷つけたり怒らせたりしてしまうようなことがあっても、傷つくか、怒るかどうかは、その当事者が選ぶことで、傷つけた、あるいは怒らせたであろう私には決定権はない。
ただ自分に正直でいよう。
相手を傷つけたくない、怒らせたくないと思ったらその通りにすればいいし、たとえ相手が傷ついたり怒ったりしても、本当にそうするべきと感じたら、それを真っ直ぐ貫くだけだ。
なぜなら、もっと大事な理由がそこにはあるから。
誰にも理解されなくても、私が私に正直でいられなくて、どうして相手に真摯な態度を示せるだろう。
不器用だけど、自身に正直であることで、他人にも真摯な対応を心がける。地味で地道だけど、それしか道はない。
あいのち=自己愛の知識と土壌を血肉に、いのちを守り育てる
で、この社会のすべての人が「自分らしさ」を大切にできるよう、微力ながらサポートする。
そのための情報や機会をどんどん提供していく。
それを受け取るかどうか、選ばれるかどうかは相手次第だ。
でも、少しでも必要としている人に届くよう、アイデアや手法を磨き続け、発信し続けよう。
私が活動グループ名を「あいのち」としているのは、「私=I (英語)」への「愛」あふれる知識や土壌(環境)=地点こそが、自身の「血肉」となり、「いのち」を守り育てることにつながるとの想いから。
2020年はあらためて、自身の幸せポイントを見つめなおして、自分に正直に、そして誰もが自分らしさを尊重することで、周囲も大切にできる社会へ、歩みを進めていこう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
あいのちの活動にご賛同いただける方は、ぜひあいのちのイベントなどでお会いしましょう❗️
今年も多くの皆さまにお会いできるのを楽しみにしています。